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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)148号 判決 1987年9月22日

東京都渋谷区初台一丁目四番一一号

原告

方元俊

右訴訟代理人弁護士

北武雄

木村和俊

山口那津男

東京都渋谷区宇田川町一丁目三番地

被告

渋谷税務署長

人見國夫

右訴訟代理人弁護士

島村芳美

右指定代理人

岩崎輝弥

芝一成

磯部喜久男

湯ノ口久男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対して昭和四二年一二月二一日付けでした

(一) 昭和三九年分所得税の総所得金額を九二七九万〇七三四円とする更正(以下「昭和三九年分更正」という。)及び重加算税額を一七六七万九三〇〇円、過少申告加算税額を一四〇〇円とする賦課決定(以下「昭和三九年分決定」といい、「昭和三九年分更正」と合わせて「昭和三九年分処分」という。)のうち、総所得金額が五八一〇万四七六三円を超える部分及び重加算税賦課決定

(二) 昭和四〇年分所得税の総所得金額を二億四七四〇万〇三四〇円とする更正(以下「昭和四〇年分更正」という。)及び重加算税額を五〇九八万七一〇〇円、過少申告加算税額を三二〇〇円とする賦課決定(以下「昭和四〇年分決定」といい、「昭和四〇年分更正」と合わせて「昭和四〇年分処分」という。)のうち総所得金額が三三五二万五九四八円を超える部分及び重加算税賦課決定

を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、東京都新宿区新宿二丁目七五番地所在のスマートボール「メトロ」(以下「新宿二丁目スマートボール店」という。)、同区歌舞伎町二三番地所在のスマートボール「メトロ」(以下「歌舞伎町スマートボール店」という。)及び同区角筈一丁目一番地中央ビル内所在のパチンコ「メトロ」、喫茶「西部」、キャバレー「メトロ」(以下右三店舗を合わせて「中央ビル店」といい、新宿二丁目スマートボール店、歌舞伎町スマートボール店、中央ビル店を合わせて「原告名義店舗」という。)を経営していた。

2  原告が、昭和三九年分所得についてした確定申告、これに対して被告がした昭和三九年分処分、原告がした異議申立て、昭和四五年法律第八号による改正前の国税通則法八〇条一項一号によるみなす審査請求(以下「みなす審査請求」という。)とこれに対して国税不服審判所長がした審査裁決の経緯及び内容は、別紙一の1表記載のとおりであり、また、原告が昭和四〇年分所得についてした確定申告、これに対して被告がした昭和四〇年分処分、原告がした異議申立て、みなす審査請求とこれに対して国税不服審判所長がした審査裁決の経緯及び内容は、別紙一の2表記載のとおりである。

3  しかるに、被告のした昭和三九年分更正のうち総所得金額が五八一〇万四七六三円を超える部分及び昭和四〇年分更正のうち総所得金額が三三五二万五九四八円を超える部分は、それぞれ原告の所得を過大に認定した違法がある。

よって、原告は被告に対し昭和三九年分処分のうち総所得金額が五八一〇万四七六三円を超える部分及び重加算税賦課決定並びに昭和四〇年分処分のうち総所得金額が三三五二万五九四八円を超える部分及び重加算税賦課決定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の各事実は認め、同3の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件各年分の総所得金額の内容

原告は、いわゆる白色申告者であり、右各年分の総所得金額は、昭和三九年分が九二八二万七五五七円、昭和四〇年分が二億五五六二万九三一七円であって、本件更正処分はいずれも右総所得金額の範囲内でなされたものであるから何ら違法な点はない。

(一) 昭和三九年分

<省略>

(二) 昭和四〇年分

<省略>

2  事業所得の金額の算定根拠

(一) 所得の帰属について

(1) 西武店、王城店及び白夜店の所得の帰属について

原告は、原告名義店舗を原告個人で経営しているとして、昭和三九年分及び昭和四〇年分の所得税について確定申告書を被告に提供した。

しかしながら、原告は、このほか、東京都新宿区歌舞伎町二四番地において、原告の実弟方利俊名義を使って喫茶「西武」及びバー「西武」(以下右両店を「西武店」という。)を、また、同町一三番地において昭和三九年四月一日から知人李昇鎬名義を使って喫茶「王城」及びバー「王城」(以下右両店を「王城店」という。)を、更に、東京都豊島区西池袋一丁目四〇番地において知人金東淳名義を使って喫茶「白夜」及びバー「白夜」(以下右両店を「白夜店」という。)をそれぞれ経営しており、原告名義店舗の営業による所得のほか、第三者名義の右三店舗(以下「本件三店舗」という。)の各喫茶及びバー営業による所得を有していたものであるが、本件三店舗の所得については、その名義人である方利俊、李昇鎬及び金東淳の所得であるとして、これらの名義による所得税の確定申告を行っていた。

しかるに、本件三店舗の営業に使用されている<1>建物の所有関係、<2>各店舗の売上金の管理保管状況、<3>各名義人が従事している業務の内容、<4>各店舗ごとの収支報告及び<5>利益分配の有無等を総合勘案すれば、本件三店舗から生ずる所得は、いずれも原告に帰属すべきものというべきである。

(2) 本件三店舗の建物の所有関係について

<1> 本件三店舗が入居している建物及びその敷地は、いずれも東京都新宿区新宿二丁目七五番地所在の新宿企業株式会社(以下「新宿企業」という。)の所有する物件である。

<2> 新宿企業の代表取締役は、登記簿上、禹東洛となっているが、同人は原告の実弟方利俊の妻の弟という姻戚関係に当たり、かって、原告の経営するパチンコ店等で原告に雇用されて勤務したことはあるものの、新宿企業の経営を統括していた立場にはなく、また、昭和三六年ころ以降は八戸市で割烹等を営んでいる者であって、新宿企業の実質的な運営を行っていたものではない。すなわち、新宿企業は、その設立者であり、しかも、新宿企業が右三店舗に係る敷地等の取得に当たってその交渉をし、取得代金の支払等も行っていた原告によって運営されていたものである。

<3> 原告は、右のとおり、同会社の実質的な経営者であったことから、同会社の所有建物において営まれる営業の名義を容易に左右し得る立場にあったものである。

(3) 内装工事等について

原告は、本件三店舗の開業に際し、開店のための内装工事、照明及び音響の電気工事並びにその他附帯設備工事を施しているが、その施行に際しては、原告が工事の手配及び代金の支払等を行っていた。これは、原告名義の店舗である中央ビル店の開店工事の場合と同様であった。

もちろん、原告の支払った本件三店舗に係る内装工事代金等を各名義人と原告との間で精算した事実もない。加えて、原告は、本件三店舗の右工事に係る工事契約書及び領収書を三井銀行新宿支店の原告の仮名(小野利彦名義)の貸金庫に保管してたものである。

(4) 売上金の管理について

<1> 本件三店舗の毎回の売上金は、原告名義店舗の売上金と同様に、各店舗の支配人又はマネージャーと呼ばれている責任者が、各店舗の喫茶及びバーごとにその売上高を集計した日計表を添えて、当時右店舗の従業員間において通称本店と呼ばれていた歌舞伎町スマートボール店の二階に届け、同所において原告の妻である玄順(以下「原告の妻」という。)あるいは留守番役である橋本ヒロらに手渡していた。

<2> 原告あるいは原告の妻は、翌日、橋本ヒロらが預かった売上金を受け取り、原告名義店舗を含めた全店舗からの売上金を確認したうえ、同所に集金に来る銀行、信用組合等の職員に手渡して預金していた。

なお、右預金口座の名義は、当初、その大部分が仮名ではあったが、一応各店舗ごとに預金口座を区別していた。

ところが、昭和四〇年八月七日以降は、前記の各店舗ごとの名義人名を用いるようになったものの、一方では、新たに仮名の預金口座を設ける等して、いずれの店舗からの売上金であるのか、容易に判別しがたい形態で各店舗の売上金の一部を預金するに至った。

<3> また、原告の妻は、昭和四〇年二月及び三月において全店舗の売上金額と小口現金払経費の明細を大学ノートに記録していたが、他の期間については記録をとることなく、日々の売上集計メモも翌日の検証が終わればこれを破棄していた。

(5) 経費の支払及び預金の管理について

<1> 本件三店舗における経費の支払にあっては、通常、原告名義店舗の場合と同様に、各取引先からの請求書が右各店舗を通じて中央ビル内に勤務している大城こと宮代澄子を経由し、又は直接に本店二階の原告の妻に渡され、同女が右請求書に基づいて銀行等の集金員から払戻しをうけた上、右大城を経由し又は直接各店舗の責任者に支払金を手渡していた。

<2> また、原告は、右各店舗別預金の余剰金を自由に払戻しを受けて使用しており、しかも、右経費の預金からの支出は、必ずしも厳格に各店舗ごとの預金からのみ払出されていたとはいえず、これら預金の払戻しには、右各店舗相互間に混同ないし流用の事実が認められた。

(6) 収支計算について

<1> 原告は、本件調査の当初においては、西武店の所得の帰属者は弟の方利俊であるが、王城店及び白夜店の営業形態について、原告の経営に李昇鎬及び金東淳の各名義人らが出資したものか、又は原告と各名義人との共同経営・共同出資の形態によるものか、又は原告が各名義人の経営に出資をして、各名義人から経営を委任されたものであるかは、当事者間に契約書が取り交わされておらず、また、利益の分配も行っていないので、これらの営業から生ずる所得が何人に帰属するのかは不明であると述べていた。ところがその後、原告は、各名義人から包括的な委託を受けてこれら三店舗の管理運営を行っている旨供述を変更しているものである。

<2> しかしながら、仮に原告が経営を委託されたとするならば、原告は、各店舗の収支につき正確な記録をつけてこれを保存し、適宜経営の状態を委託者に報告すべきであるのにもかかわらず、各名義人に対して収支等の報告を一切行ってはいなかったし(原告は、売上金については店舗別に預金していたというものの、前述のとおり、中途から売上金の一部をいずれの店舗のものか判別しがたい形態で預金していたし、また経費の支出についても混同ないし流用して行っていたのであるから、店別の収支を容易に明らかにすることは、到底できない状況にあった。)また、毎日の売上高がいくらで、どこの銀行に誰の名義で預金して保管していたのかも報告してはいなかった。

<3> 他方、本件三店舗の各名義人らは、原告に各店舗の収支等について報告を求めることもなく、また、毎日の売上金も自己で管理することなく、原告がこれを管理していたのであり、各名義人らは、毎日の売上高及びその管理について全く無関心であった。

仮に、李昇鎬及び金東淳において、店舗の経営を原告に委託していたというのであれば、原告に対して相当額の報酬を支払ってしかるべきところ、これが支払われた事実もないし、原告が支払った内装工事費等の精算もなされて当然であるにもかかわらず、これの精算がなされたという事実も全く認められないのであり、かえって、原告から、李昇鎬は月額五万円宛を、金東淳は月額三万円宛をそれぞれ支給されていたのである。

(7) 本件三店舗の経営について

<1> 本件三店舗の従業員らは、日常、原告を社長と呼び、方利俊を専務、李昇鎬及び金東淳をマスターと呼び、中央ビル店内のキャバレー「メトロ」の予定表帳等にも、社長及び専務としてそれぞれ区別した行動予定が記録されていた。

<2> また、西武店の領収書綴の中には、ミツワ電気照明株式会社から王城店宛の領収書が編綴されているなど、各店固有の会計書類、営業日報等が他店で多数発見された。

<3> しかも、本件三店舗の支配人又は主任といわれる職制の従業員にあっては、原告らの指示により本件三店舗の間でいわゆる転勤と目しうるような勤務場所の異動がかなり行われていた。

<4> 更に、本件三店舗においては、共通の営業日報書の用紙が使用され、各店相互間で商品材料備品等が流用されるとともに、原告は各店舗のボーイ長を対象とする講習会あるいは支配人を対象とする会議等を主催する等していたものであり、その営業・経営形態からして各店舗の経営者が異なるものとは、およそいい難いものであった。

<5> そして、銀行の融資を受けたり取引を開始するに当たり、原告が作成した経歴、企業規模等の説明資料中には、本件三店舗がいずれも原告の経営である旨の記述がなされ、また、金融機関が独自に調査した記録(貸付稟議書)にも本件三店舗がいずれも原告の経営である旨の記述がなされており、本件三店舗が原告の経営に係るものであることは新宿商店街では、いわば公知の事実ともなっていたのである。

(8) 結論

以上、前記(2)ないし(7)の諸事実を総合勘案すれば、右各名義人らが本件三店舗の真の経営者であったとすることは極めて不自然であって、実際の経営者が原告であることは明らかであることから、その営業から生ずる所得は原告に帰属するものというべきである。

(二) 帳簿書類の保存状況等について

(1) 原告は、2(一)(4)のとおり毎日の売上金を、各店舗の売上金から現金払の経費に充てる小口現金を除いて、毎日閉店後に売上日計表を添えて本店に集め、翌日、別表一及び二のとおり各店舗ごとに設定した各預金口座に各店舗ごとそれぞれ区分して預け入れていた。

ただし、新宿2丁目スマートボール店及び歌舞伎町スマートボール店の売上金にあっては、これを区分することなく一括して「スマートボール店」分とし、また、中央ビル店分の売上金にあっては、更に、「パチンコ店」分と「キャバレー・喫茶店」分とに区分して預金していた。

(2) それにもかかわらず、原告は、売上金額を記入すべき売上帳等を備え付けておらず、原告の妻が記録していた「大学ノート」(昭和四〇年二月一日から同年四月一一日までの各店舗別の売上高が記載されているもの)及び「売上日計表等」(昭和四〇年一二月一七日、同年同月二〇日ないし二三日の間の各店舗の売上高の記載のあるもの(右五日間分を除き、他の日のものは、翌日、売上金の検証が終わればこれを破棄していた。)並びに中央ビル店のパチンコの昭和四〇年一二月二〇日ないし同四一年四月の売上高を記載したもの)を除いては、同年分の売上金額を直接確認できる帳簿又は書類を保存していなかった。

(3) 加えて原告は、各店舗の営業に係る必要経費についても、売上金の場合と同様、小口現金出納簿に記帳したものを除いては、その金額を記載すべき帳簿を備え付けておらず、また、小口払経費を除く大口の仕入代金及び経費については、各店舗ごとの支払金額を従業員に計算させたうえ、売上金を預け入れていた預金口座から払い戻して、毎月一定の支払予定日にそれぞれ支払ってはいたものの、その領収証あるいは各取引先からの納品書、請求書については、一部、しかもそれは断片的にしか保存されていなかった。

(4) そして、店舗別に売上金を預け入れていた各預金口座から当該店舗に係る仕入代金及び経費についての右支払方法についてみても、当該店舗に係る売上金を預け入れていた預金口座から当該店舗に係る仕入代金及び経費を支払っていたとの対応関係にはなく、他の店舗に係る売上金を預金した口座から払い戻されて支払われている場合もあるというように、店舗間で預金が流用されていた。

(5) ところで、原告は、中央ビル店のうち、キャバレー「メトロ」・喫茶「西武」、西武店、王城店及び白夜店の各売上金については、その中から小口現金払経費に充てる現金を除いた残金を預金するという処理方式をとっていた。右各店舗においては、小口現金出納簿を備え付け(新宿二丁目スマートボール店、歌舞伎帳スマートボール店及び中央ビル店のパチンコ「メトロ」については、小口現金出納簿の備え付けはない。)、これに預金しなかった売上金並びに小口払経費(前記(3)の毎月一定の支払予定日に支払われる大口の仕入代金及び経費を除く経費。)等の支払に充てられた小口現金の収支状況を記録していた。なお、小口現金出納簿は、原告が継続的に記帳していた唯一の帳簿である。

(6) 以上のとおりであったため、小口現金出納簿に記帳されたものを除き、帳簿書類及び領収書等から、原告の売上、仕入及び経費の額を直接確認することはできない状況であった。

したがって、被告は、原告の本件係争各年分の事業所得の金額については、以下のとおり預金の預け入れ、払戻しの状況及び一部推計等により算出せざるを得なかったものである。

(三) 昭和三九年分の事業所得の金額の算定根拠

(1) 事業所得の金額の内容

事業所得の金額の内容は次のとおりであり、各科目ごとの金額の算定根拠は、(2)以下のとおりである。

<省略>

(2) 売上金額

原告は、前記2(二)のとおり、売上金額を直接確認できる帳簿又は書類保存していなかったので、被告は、各店舗の売上金が預け入れられた預金口座の預け入れ額等から売上金額を算定したものである。

すなわち、被告は、原告及び原告の妻らの供述並びに銀行調査の結果から、別表一記載の預金口座に昭和三九年中に売上金として預け入れられたものと認められた額四億一七八三万二二〇一円に、中央ビル店のキャバレー・喫茶店、西武店、王城店及び白夜店の売上金にあっては、その中から小口現金払経費に充てる現金を除いた残金が預金されていたことから、これらの店舗に備え付けられていた小口現金出納簿に昭和三九年中の受入額として記帳されていた額九八一万五〇〇〇円を加算して昭和三九年分の売上金額を四億二七六四万七二〇一円と算定したものである。なお、店舗別内訳は、次のとおりであり、月別の明細については、別表三のとおりである。

<省略>

(3) 雑収入

西武店、王城店及び白夜店においてジュークボックス払戻金あるいは開店祝儀として収受していたものであり、その内容は次のとおりである。

<省略>

(4) 期首及び期末のたな卸金額

原告は、たな卸資産について、殆んど継続的な記録、又はたな卸表の作成をしていなかったので、被告は、原告の本件に係る所得税法違反けん疑事件の調査において差し押さえられた、商品たな卸に関連する資料等から、期首及び期末のたな卸金額を次のように算出したものである。

<1> 期首たな卸金額

(ア) 原告名義店舗である新宿二丁目スマートボール店分については、右けん疑事件の調査において差し押さえられた同店の景品帳に記載されている期首の在庫数量を基に、期首たな卸金額を一三万四四二八円と算定したものである。

(イ) 西武店分については、商品のたな卸に関する原始記録が何ら保存されていなかったため、同店と業種・業況等が類似する王城店の期末たな卸金額から西武店の期首及び期末におけるたな卸金額を推計したものである。

すなわち、王城店については、昭和三九年一二月末の商品出納及び在庫表が保存されていて、期末たな卸金額が一七七万七四五五円であることが判明したので、右金額に王城店の昭和三九年一二月の売上金額一七二〇万〇〇二〇円(別表三)に対する西武店の同月の売上金額七五四万九五六〇円(別表三)の割合四三・八九パーセントを乗じた金額七八万〇一三五円をもって同店の期末たな卸金額とし、期首たな卸金額も、これと同金額と推認したものであり、右計算方法は、原告において備付帳簿が完備しておらず、他にたな卸金額を把握できる資料がないため、原告の経営する王城店の数値を基に推計した方法であり、合理的な推計方法というべきである。

また、一般に、営業の業態、事業規模が同じであれば、その期間中に仕入数量、仕入価額の変動があるとか在庫整理のために特別な販売をするとかの特段の事情きない限り、在庫品は、期間を通じてみれば、ほぼ一定額を維持しているものと認めるのが相当であり、右特段の事情を認めるべき何らの証拠もない本件においては、期首、期末のたな卸金額を同額と推認したことは合理的であるというべきである。

(ウ) 白夜店分については、期首たな卸に関連する資料等は保存されてはいなかったが、右けん疑事件の調査において差し押さえられた同店の商品出納及び在庫表から昭和四〇年一〇月末におけるたな卸金額四三万七六九九円が判明したので同月末とは業況に特別の差異が認められないことから、前記(イ)と同様の理由により昭和三九年期首及び期末における同店のたな卸金額を右と同金額をもって推認したものである。

(エ) 以上により、昭和三九年分の期首たな卸金額は、原告名義店舗分一三万四四二八円、西武店分七八万〇一二五円及び白夜店分四三万七六九九円の合計一三五万二二五二円と算定したものである。なお、王城店、原告名義店舗の歌舞伎町スマートボール店及び中央ビル店は昭和三九年の中途開業であるから、昭和三九年分期首たな卸金額は存在しない。

<2> 期末たな卸金額

(ア) 原告名義店舗の中央ビル店、新宿二丁目スマートボール店及び歌舞伎町スマートボール店の各店分については、右けん疑事件の調査において、領置した決算関係書類及び前記の景品帳を基に、期末たな卸金額を三七二万一五〇〇円と算定したものである。

(イ) 王城店分については、右<1>(イ)のように、同店の期末の商品出納及び在庫表から、期末たな卸金額を一七七万七四五五円と算定したものである。

(ウ) 西武店分についても、右<1>(イ)のように、王城店の昭和三九年期末たな卸金額から推計した金額七八万一二五円をもって、期末たな卸金額と推認したものである。

(エ) 白夜店分についても、右<1>(ウ)のように、同店の昭和四〇年一〇月末のたな卸金額から期末たな卸金額を四三万七六九九円と推認したものである。

(オ) 以上により、昭和三九年分の期末たな卸金額は、原告名義店舗分三七二万一五〇〇円、王城店分一七七万七四五五円、西武店分七八万一二五円及び白夜店分四三万七六九九円の合計六七一万六七七九円と算定したものである。

(5) 仕入金額、給料手当ないし雑費

<1> 原告は、右2(二)(3)のとおり、各店舗の営業に係る必要経費についても、売上金の場合と同様、小口現金出納簿に記帳したものを除いては、その金額を記載すべき帳簿を備え付けておらず、また、小口払経費を除く大口の仕入代金及び経費については、各店舗ごとの支払金額を従業員に計算させたうえ、売上金を預け入れていた預金口座から払い戻して、毎月一定の支払予定日にそれぞれ支払ってはいたものの、その領収証あるいは各取引先からの納品書、請求書については、一部、しかもそれは断片的にしか保存されていなかったので、帳簿及び領収証等から原告の支払った各店舗の営業に係る仕入れ及び経費の額を算定することはできない状況にあった。

<2> そして、店舗別に売上金を預け入れていた各預金口座から当該店舗に係る仕入代金及び経費についての右支払方法についてみても、当該店舗に係る売上金を預け入れていた預金口座から当該店舗に係る仕入代金及び経費を支払っていたとの対応関係にはなく、他の店舗に係る売上金を預金した口座から払い戻されて支払われている場合もあるというように、店舗間で預金が流用されているため、各預金口座の払戻金額から店舗ごとの仕入及び経費の額を計算することもできなかった。

<3> このため、原告の昭和三九年分の事業所得に係る必要経費の額を算定するには、断片的にしか保存されていなかった仕入及び経費の支払明細表、納品書、請求書あるいは領収証その他を手掛りとして、各取引先に対する書面照会等の調査を悉皆的に行って、原告が支払った仕入及び経費の金額を把握せざるを得なかったものであり、この方法によって把握できた昭和三九年分の事業所得の必要経費の各科目別の内訳金額は、別表四のとおりであって、これを合計すると二億二八七八万七六八〇円となる。

<4> 右金額に、別表四記載の昭和三九年分の小口払経費の額合計一〇三一万五八四六円を加えて、仕入及び経費の支払額を二億三九一〇万三五二六円と算出した(月別店舗別の明細は別表五のとおりである。)。

<5> ところで、右の算出方法で原告の必要経費の額を確定することについては、取引先をすべて把握し得ているかどうか等の点で懸念があったので、右の方法によって把握した仕入及び経費の金額について、更に、確実性を期するため、別途、原告の営業に係る仕入及び経費の支払が、前述のとおり小口払経費以外は、各店舗の売上金を預け入れていた預金口座から当該店舗に係る仕入及び経費を支払うとの対応関係にはなかったが、ともかく、預金から払い戻して支払われていることに着目して、被告は、預金の払戻額を基に仕入及び経費の額の検討を行った。

すなわち、昭和三九年中に各店舗の売上金が預け入れられていた預金及びその預金からの振替え等によって別に設定された各預金(普通預金、定期積金、通知預金及び定期預金等)から払い戻された額六億六五七三万〇一九三円、小口払経費等として支出された現金一一〇六万一七九六円及び同年中の預金されなかった収入金額四四万八五五九円の合計である。総支払資金額六億七七二四万〇五四八円を求め、右金額から事業所得の金額を計算するうえで必要経費に該当しない支払金額三億七〇六三万六五四二円を控除し、右総支払資金額以外に必要経費に該当する借入金の天引利息等三八四四万〇八 八円を加算し、更に、期首未払費用等一〇六八万二五七七円を減算するなどして、期首、期末の調整を行った結果、昭和三九年中に発生した仕入及び経費の額は別表六のとおり三億三四三六万二二五七円と認められた。

<6> そこで、被告は、昭和三九年分の事業所得の必要経費の額を算定するにあたっては、右預金等の払戻額から計算された三億三四三六万二二五七円を基礎とし、その金額から、前記<4>の各科目別に悉皆的に把握した仕入及び経費の額二億三九一〇万三五二六円を控除した残額九五二五万八七三一円を、科目が不明ではあるが「費目区分のできない経費」として、必要経費の額に加算したものである。

(6) 異常多額な預金払出額について

<1> 異常多額な預金払出額の内容

(ア) 被告は、前記2(三)(5)のとおり、預金口座からの払戻金額等を基礎として、仕入及び経費の金額を算定したものであるが、右金額の算出過程において、異常多額な預金払出額二六九〇万円を仕入及び経費と認められない支出金額と認定したものである。

(イ) 右異常多額な預金払出額は、後記のとおり、そのほとんどが仮名預金口座からの払戻しであり、また、原告の本件に係る所得税法違反けん疑事件の際の各預金の銀行調査、原告本人の供述、取引先に対する調査等から判断して、いずれも、各店舗の営業に係る事業所得の必要経費の支払に充てられた払戻額以外の多額な預金払戻額であって、端数のつかないラウンドナンバーの出金とか、あるいは、右仮名預金の解約に伴う払戻しとかが多いなど、その出金態様は他の出金状況と際立っているにもかかわらず、原告は、右けん疑事件の調査において、その使途を明らかにし得なかったものである。

そして、以下のとおり、異常多額な預金払出額は原告の各店舗の事業所得の計算上、必要経費に該当しない支出に充てられているものと認められ、いわゆる店主勘定に当たる支出額である。

<2> 異常多額な預金払出額が必要経費として支出されたものと認められない理由について

(ア) 昭和三九年二月二一日の出金四〇〇万円について

この四〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.二三四一谷口明(仮名)口座から払い戻された六〇〇万円中、固定資産取得代金として前同日、常富工業所及び佐山製作所に支払われた二〇〇万円を差し引いた残額である。

ところで、原告の各店舗の営業に係る仕入及び経費の支払方法は、店舗ごとに定まっている一定の支払日に原告の各預金口座から払い戻された金額でもって支払われている。

そこで、右四〇〇万円についてみると、いわゆる通常の支払日でない日に払い出されており、しかも、その支払日の前後に仕入及び経費の支出に充てられたと見られるような預金の引出しの有無について検討したところ、通常の支払日に相当する日に、それぞれ端数のついた通常の仕入及び経費の支払と認められる払戻金額があること、並びに四〇〇万円という端数のつかないラウンドナンバーの払戻額であることから、右四〇〇万円は、通常の仕入及び経費の支出とは到底認められないものである。

また、右四〇〇万円が、他の預金に振り替えられた事実もなく他の固定資産取得代金の支払や借入金等の返済に充てられた事実も認められず、原告も、その使途を全く明らかにし得ないのである。

以上のとおりの状況であったことから、被告は、右四〇〇万円は仕入及び経費の支出に充てられたものとは認定できなかったものである。

(イ) 昭和三九年五月六日の出金三九〇万円について

この三九〇万円は、同日、大同信用金庫本店の普通預金No.五五五九 八木武(仮名)口座から払い戻されたもので、右(ア)と同様の理由に加え、原告が実質的に経営する三洋商事株式会社が新宿ステーションビルに入居するに当たり、入居保証金二四九万六〇〇〇円及び敷金一二六万四〇〇〇円の合計三七六万円を支払っていることから、預金払出額三九〇万円が右保証金等の支払に充てられた可能性が非常に強いと推認されることもあって、被告は、右三九〇万円は仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(ウ) 昭和三九年八月五日の出金六〇〇万円について

この六〇〇万円は、同日、大同信用金庫本店の普通預金No.三七五六峰洋子(仮名)口座から払い戻されたもので、右(ア)と同様の理由により、仕入及び経費の支出に充てられたものとは認定できなかったものである。

(エ) 昭和三九年八月五日の出金三〇〇万円について

この三〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.二二四石丸忠(仮名)口座から払い戻されたもので、右(ア)と同様の理由により仕入及び経費の支出に充てられたものとは認定できなかったものである。

なお、原告は、昭和三九年八月及び一〇月に合計七五〇万円を三洋商事株式会社の増資資金として払い込みながら、その資金源について明らかにしていないが、その金額、時期からみて、右(ウ)の六〇〇万円及び右三〇〇万円がその資金源となっている可能性を否定しきれないものである。

(オ) 昭和三九年一二月一〇日の出金一〇〇〇万円について

この一〇〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.一三〇江原芳夫(仮名)口座から払い戻された八〇〇万円と前同日、大同信用金庫本店の普通預金No.八三〇二戸村浩(仮名)口座から払い戻された三〇〇万円の合計一一〇〇万円中、中央ビルの附属設備工事代金として、前同日、常富工業所に支払われた一〇〇万円を差し引いた残額であって、右(ア)と同様の理由に加え、前同日、原告が実質的に経営する新宿企業が一〇〇〇万円の増資資金の受け入れを行っており、その一〇〇〇万円は平和相互銀行新宿支店の別段預金に預け入れているが、三信商事株式会社及び新宿企業の資本金、増資資金は、いずれも原告が拠出していることから、右一〇〇〇万円が新宿企業の増資資金に充てられたものであることは明らかである。

したがって、被告は、右一〇〇〇万円は、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(7) 小口払経費

小口払経費は、中央ビル店事務室に保管されていた同店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費一〇九万八九九〇円、西武店に保管されていた同店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費一七八万三三三〇円、白夜店に保管されていた同店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費三一二万三九八三円及び王城店に保管されていた同店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費四三〇万九五四三円の合計一〇三一万五八四六円を小口現金払経費として認容したものである。

(8) 減価償却費

<1> 原告は、固定資産についても記帳を行ってはいなかったので、原告の営業に係る建物、建物付属設備及び器具備品の取得価額は、西武店を除く各店舗分については、各取引先に対する書面照会等によって把握し、法定償却方法である定額法を適用して、原告名義店舗は二二九万九九九四円、王城店は三九七万一二一四円及び白夜店は二〇九万五七四六円と算出し、西武店については左の方法により、三三七万二一三七円と推計し、昭和三九年分の減価償却費を合計一一七三万九〇九一円と算定したものである。

<2> 西武店については、右の取引先に係る書面照会等では、取得時期が古いこと等もあって取得価額が把握できなかったため、右同店の減価償却費を推計せざるを得なかったことから、業態に差異がないと認められる白夜店の昭和三九年分における減価償却費の売上金額に対する割合三・八八四四七パーセントを西武店の同年分の売上金額に乗じて得られた三三七万二一三七円をもって、同店の減価償却費の金額と推計したものである。

<3> 右のとおり、西武店の減価償却費については、白夜店の減価償却費を基に推計したものであるが、定額法に基づく減価償却費は、固定経費であり、売上効率の悪い店舗においては減価償却費の売上に占める割合は当然大きくなる。

そこで、西武店と白夜店についてみると、白夜店は、西武店より売上は少ないが、建物の取得価額は面積、建築時期からみて(西武店二一五坪、白夜店二七三坪)、西武店より多いことが推認でき、白夜店における減価償却費の売上に占める割合は、西武店よりも大きいと認められる。

したがって、白夜店の売上に係る減価償却費率を用いて、売上効率のよい西武店の減価償却費を推計した被告の推計方法は、合理的な方法である。

(四) 昭和四〇年分の事業所得の金額の算定根拠

(1) 事業所得の金額の内容

事業所得の金額の内容は次のとおりであり、各科目ごとの金額の算定根拠は、2以下のとおりである。

<省略>

(2) 売上金額

原告の昭和四〇年分の売上金額は、次の<1>ないし<5>のとおり昭和三九年分と同様各預金口座の預入額等から把握できた金額八億四四五二万五九五七円(預金預入額八億二九一八万六三八七円、小口現金分一四四六万四〇〇〇円、売掛金八七万五五七〇円)、売上日計表等で確認できた売上のうちの預金入金脱漏額一六五万五〇〇五円(預金入金脱漏額三六五万五〇〇五円のうち、仮名預金に預け入れられたと認められる二〇〇万円を除いた額)及び一部推計による額三六一六万四千三百七十三円(別表一一のE欄の合計欄の金額)との合計額八億八二三四万五三三五円である。

<1> 原告は、2(二)のとおり、売上金を直接確認できる帳簿又は書類を保存していなかったので、被告は、各店舗の売上金が預け入れられた預金口座の預け入れ額等を基にして次の方法により売上金額を算定したものである。

<2> 原告の本件に係る所得税法違反けん疑事件の調査によれば、原告は、昭和四〇年八月七日以降は、それまで使用していた仮名普通預金口座を解約して新たに新宿二丁目スマートボール店及び歌舞伎町スマートボール店の売上金については、これを預け入れる預金口座として大同信用金庫本店に、中央ビルパチンコ店分の売上金については、これを預け入れる預金口座として同和信用組合新宿支店に、いずれも「方元俊」名義の、また、西武店の売上金については、これを預け入れる預金口座として同和信用組合新宿支店に「方利俊」名義の、白夜店の売上金については、これを預け入れる預金口座として大同信用金庫本店に「金東淳」名義の、そして、王城店の売上金については、これを預け入れる預金口座として三井銀行新宿支店に「李昇鎬」名義の普通預金口座をそれぞれ設定し、当該口座にそれぞれの店舗に係る売上金を預け入れていたものである。更に、原告は、右同日、同和信用組合新宿支店に「岩本幸正」名義の普通預金口座及び同年一二月三〇日同支店に「三船実」名義の普通預金口座をそれぞれ設定して、売上金の一部(右仮名普通預金に預け入れられた売上金は、店舗別の区分はできない。)を預け入れていた。

そこで、昭和三九年分の場合と同様に、別表二記載の各預金口座に昭和四〇年中に売上金として預け入れられたものと認められた額八億二九一八万六三八七円に、小口現金出納簿に受入額として記載された一四四六万四〇〇〇円及び中央ビルキャバレー店の昭和四〇年分売掛金で、同年中に入金とならなかった八七万五五七〇円を加えて計算した売上金額は、八億四四五二万五九五七円となる(月別の明細は別表七のとおりである。)。

<3> また、2(二)(2)の売上日計表等によると、昭和四〇年一二月一七日、同月二〇日ないし二三日の間の総売上高は、一三九六万〇三四三円であって、そのうち、各店舗別に預金された売上金は一〇三〇万五三三八円であり、差引三六五万五〇〇五円は預金された形跡がない。ところが、原告の仮名預金である岩本幸正名の普通預金口座に右同期間中に二〇〇万円の預け入れがあることから、被告は、右預金預入脱漏額三六五万五〇〇五円のうち二〇〇万円が右岩本名の口座に預け入れられたと認め、結局、差額の一六五万五〇〇五円のみを預け入れられなかった売上金と認定したものである。

<4> ところで、右<2>の預金入金額から計算した売上金額は、別表九の店舗別売上金額の月別推移で明らかなように、キャバレー・喫茶店分を除き、八月以降の売上金額は、七月以前のそれと比較して激減していて、前述した従前の仮名預金口座が解約されて新たに預金口座が設定された昭和四〇年八月以降は著しく低額なものとなっている。しかしながら、八月以降において、原告の営業種目、営業規模、営業形態あるいは業況等に特段の変化が見受けられないことから推して、昭和四〇年八月以降における売上金の一部が、別表二記載の預金に預け入れられていない事実が推認されるのである。

このことは、前述の売上日計表等に記載された各店舗の売上金額と、右預金口座への預け入れ額及び小口現金出納簿の受入額とを対比してみた場合、別表八のとおり、預金預入等の金額は、売上日計表等の金額より昭和四〇年一二月一七日は七万一八二五円、同月二〇日は二一万九八〇〇円、同月二一日は二五万六三一〇円、同月二二日は五七万一九七〇円及び同月二三日は五三万五一〇〇円それぞれ少ないという結果からも明らかなところであるばかりか、売上金額について、これと相関関係にあると認められる仕入及び経費の金額についてみても、八月以降の売上金額が七月以前よりも実際に減少しているとすれば、これに比例して八月以降の仕入及び経費の金額も減少して然るべきところ、逆に本件査察調査に際して確認された預金及び預金の支払状況から計算した仕入及び経費の金額は、別表一〇のとおり、その月平均額は、一月ないし七月分が四八三一万七五三三円であるのに対して、八月ないし一二月分は五一二四万三七八八円であって、八月以降の月平均額のほうがむしろ増加しているのである。その上、差益率を比較してみると、一月ないし七月分が三三・六二パーセントであるのに対して、八月ないし一二月分は二三・五一パーセントというように、八月以降のほうが一〇パーセント以上も低率である(八月以降のほうは、一月ないし七月分の差益率の約七割でしかない。)ということからも、売上金額の預金口座への預入除外の事実が裏付けられるのである。

<5> そこで、被告は、売上金額の右預金除外に係る金額は、推計により算定せざるを得ないものと認め、前述の大学ノート及びそれを記録していた原告の妻の供述並びに原告の預金に係る銀行調査の結果から判断して、各店舗の実際の売上金額が把握できた昭和四〇年一月ないし同年七月までの一か月平均の売上金額に基づき、別表一一のとおり、同年八月ないし同年一二月までの売上金額を三億七一九一万八五三九円と算定した(各店舗ごとの一か月平均売上金額に五か月を乗じたものである。なお、中央ビルキャバレー・喫茶店分については、預け入れの預金口座が当初より実名であった事実及びその預け入れ金額の月別推移等から判断して、売上金の預金除外がないものと認めてこの計算から除外した。)ものである。

なお、右三億七一九一万八五三九円のうち、預金、売上日計表等で把握できた金額は三億三五七五万四一六六円(別表一一のDの合計欄の金額)であり、したがって、推計による売上金額は、差額の三六一六万四三七三円(別表一一のEの合計欄の金額)となる。

ところで、右推計を含む昭和四〇年八月ないし一二月の差益率から同期間に係る売上金額の適正を検討すると、八月ないし一二月分の差益率は、次のように三一・一〇パーセントになり、右<4>の同年一月ないし七月の差益率三三・六二パーセントと近似していることから、右推計後の売上金額は適正・妥当な金額であるということが出来るのである。

8月ないし12月分の売上金額認定額-8月ないし12月分の仕入及び経費の額

(371,918,539円)-(256,218,942円)

8月ないし12月分の売上金額認定額

(371,918,539円)

≒0.3110

(3) 雑収入金額

中央ビル店(キャバレー・喫茶店)における公衆電話の使用料収入並びに、西武店及び王城店におけるジュークボックス払戻金を収受したものであり、その内容は次のとおりである。

<省略>

(4) 期首及び期末のたな卸金額

<1> 期首たな卸金額

前記2(三)(4)<2>の昭和三九年分の期末たな卸金額六七一万六七七九円が昭和四〇年分の期首たな卸金額となる。

<2> 期末たな卸金額

(ア) 原告名義店舗分については、決算関係書類及び景品帳を基に、期末たな卸金額を三七〇万五〇〇〇円と算定したものである。

(イ) 王城店分については、商品出納及び在庫表から期末たな卸金額を二〇一万六三九六円と算定したものである。

(ウ) 西武店については、商品たな卸に関する原始記録が何ら保存さていなかったため、王城店の昭和三九年の期末たな卸金額を基礎として前記2(三)(4)<1>(イ)の西武店の昭和三九年期末たな卸金額七八万〇一二五円をもって、昭和四〇年の期末たな卸金額と推認したものである。

(エ) 白夜店分についても、期末たな卸に関連する資料等が保存されていなかったので、前記2(三)

(4)<1>(ウ)と同様、同店の昭和四〇年一〇月末の商品出納及び在庫表を基に推計した金額四三万七六九九円をもって、同年の期末たな卸金額と推認したものである。

(オ) 以上により、原告の昭和四〇年分の期末たな卸金額は合計六九三万九二二〇円と算定したものである。

(5) 仕入金額、給料手当ないし雑費

<1> 原告は、各店舗の営業に係る必要経費についても、売上金の場合と同様、小口現金出納簿に記帳したものを除いては、その金額を帳簿を備え付けて継続的に記帳することをせず、また、帳簿書類の保存状況等についても、昭和三九年分と同様であり、帳簿等から仕入金額及びその他の経費を算定することはできなかった。

<2> そこで、まず、被告は、各取引先に対する書面照会等により、昭和四〇年分の事業所得の必要経費を把握したものである。その科目別の内訳金額は、別表十二のとおりであり、合計額は、五億六四八四万六七一一円となる。

<3> 右金額に、別表十二記載の小口払経費の額合計一四八二万八二八九円を加え、仕入及び経費の支払額を五億七九六七万五〇〇〇円と算定したものである(月別店舗別の明細は「別表一三」のとおりである。)。

<4> ところで、昭和四〇年分についても前記2(三)(5)<5>と同様の理由及び方法により、同年中の総支払資金額一一億一五三二万三八〇八円を求め、右金額から必要経費に該当しない支払金額を控除し、右総支払資金額以外の必要経費に該当する金額を加算し、更に、期首、期末の未払金等の調整を行った結果、昭和四〇年中に発生した仕入及び経費の額を六億〇五四八万八八一九円と算出した(別表一四)。

<5> そこで、被告は、昭和四〇年分の必要経費の額を算定するにあたって、右金額から、右(四)(5)<3>の各科目別に把握した仕入及び経費の額五億七九六七万五〇〇〇円を控除した残額二五八一万三八一九円を、科目が不明ではあるが「費目区分のできない経費」として、必要経費の額に加算したものである。

(6) 異常多額な預金払出額について

<1> 異常多額な預金払出額の内容

(ア) 被告は、右(四)(5)のとおり、預金口座からの払戻金額等を基礎として、仕入及び経費の金額を算定したものであるが、その金額の算出過程において、異常多額な預金払出額として二億一八一五万六七二九円を仕入及び経費と認められない支出金額と認定したものである。

(イ) 右異常多額な預金払出額は、後記のとおり、そのほとんどが、仮名預金口座からの払戻しであり、また、原告の本件に係る所得税法違反けん疑事件の際の各預金の銀行調査、原告本人の供述、取引先に対する調査等から判断して、異常多額な預金払出額は、各店舗の営業に係る事業所得の必要経費の支払に充てられた払戻額以外の多額な預金払戻額であって、端数のつかないラウンドナンバーの出金とか、あるいは、右仮名預金の解約に伴う払戻しとかが多いなど、その出金態様は他の出金状況と際立っているにかかわらず、原告は、右けん疑事件の調査において、その使途を明らかにし得なかったものである。

そして、以下に具体的に述べるとおり、異常多額な預金払出額は原告の各店舗の事業所得の計算上、必要経費に該当しない支出に充てられているものと認められ、いわゆる店主勘定に当たる支出額である。

<2> 異常多額な預金払出額が必要経費として支出されたものと認められない理由について

(ア) 昭和四〇年四月七日出金の一五〇〇万円について

この一五〇〇万円は、同日、大同信用金庫本店の普通預金No.八三〇二戸村浩(仮名)口座から払い戻された五〇〇万円と、前同日、同店の普通預金No.八二九二千秋香(仮名)口座から払い戻された一〇〇〇万円の合計一五〇〇万円で、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、王城店の建築資金の一部に充てられた可能性も否定しきれないことから、仕入及び経費の支出に充てられたものとは認定できなかったものである。

(イ) 昭和四〇年六月三〇日出金の二〇〇〇万円について

この二〇〇〇万円は、同日、三井銀行新宿支店の普通預金No.う六〇九四瀬浪三郎(仮名)口座の解約払戻金二一九二万七五二九円のうち、仕入及び経費として認定した一九二万七五二九円を差し引いた残額で、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、預金の解約という特殊な払戻額であること、前同日、同行からの借入金の返済に充てられたものであることが明らかであることから、被告は、右二〇〇〇万円は、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(ウ) 昭和四〇年七月三一日出金の一〇〇〇万円について

この一〇〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.三三五北原二郎(仮名)口座から払い戻されたもので、前記第二の三の6の(二)の(1)と同様の理由に加え、次に述べるとおり同日、同行に設定された池野良一名義の定期貯金一〇〇〇万円の設定資金に充てられたものであることが明らかであることから、被告は、右一〇〇〇万円は、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(エ) 昭和四〇年八月九日出金の二〇九六万六五一一円について

この二〇九六万六五一一円は、

<1> 同日、大同信用金庫本店の普通預金No.一〇九六五瀬波利夫(仮名)口座からの払戻金一〇一万円、

<2> 前同日、同店の普通預金No.八二九七千秋香(仮名)口座の解約金六二八万八一四二円

<3> 前同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.四一九清水忠行(仮名)口座からの払戻金七〇〇万円及び

<4> 前同日、三井銀行新宿支店の普通預金No.う九九六四平林和夫(仮名)口座の解約金六六六万八三六九円の合計二〇九六万六五一一円である。

右払戻金は、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、預金口座の解約ないし解約直前におけるほぼ全額の払戻しであり、特に右出金の日は、原告の営業による売上金の預金への預け入れが、今まで仮名の預金口座に預入れされていたのに、突如として、実在者名を用いた預金口座に預け入れられ始めた昭和四〇年八月七日の直後であって、通常の営業状態のもとにおける預金の払戻しとは異なる他の何らかの意図に基づく預金口座の解約ないし解約と同視しうる払戻しであると推認されるのである。また、同月中には、以下(オ)ないし(ク)のものも含めて、異常多額な預金払出額は、六八六一万八三三九円にも及んでおり、これらがすべて仕入及び経費の支払と認め難いことは明らかであるところ、新宿企業が、同月中に新宿区歌舞伎町一七番地に不動産を取得した際の代金の裏金として支出された疑いもあることから被告は、右二〇九六万六五一一円は、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(オ) 昭和四〇年八月一一日出金の六三六万三二二七円について

この六三六万三二二七円は、同日、同和信用組合新宿支店の通知預金No.四八-一志賀俊幸(仮名)口座の解約金四六五万八〇八六円と、前同日、同店の通知預金No.四八-三志賀俊幸(仮名)口座の解約金一七〇万五一四一円の合計六三六万三二二七円で、右(エ)と同様の理由により、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(カ) 昭和四〇年八月一二日出金の一五〇四万五三六〇円について

この一五〇四万五三六〇円は、同日、同和信用組合新宿支店の通知預金No.四八-四志賀俊幸(仮名)口座の解約金一五〇四万五三六〇円で、右(エ)と同様の理由により、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(キ) 昭和四〇年八月一七日出金の一五九四万四八〇一円について

この一五九四万四八〇一円は、<1>同日、同和信用組合新宿支店の通知預金No.四八-二志賀俊幸(仮名)口座の解約金一一〇四万〇一四六円、<2>前同日、同店の定期積金No.二三四一-一林田信夫(仮名)口座の解約金二一三万五九九七円及び<3>前同日、同店の定期積金No.二三四一-二北原竜(仮名)口座の解約金二七六万八六五八円の合計一五九四万四八〇一円で、右(エ)と同様の理由により仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(ク) 昭和四〇年八月二〇日出金の一〇二九万八四四〇円について

この一〇二九万八四四〇円は、同日、三井銀行新宿支店の定期預金No.普三-五八八植木三郎(仮名)口座の解約金五一四万九二二〇円及び前同日、同店の定期預金No.普三-五八九植木三郎(仮名)口座の解約金五一四万九二二〇円の合計一〇二九万八四四〇円で、右(エ)と同様の理由により、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(ケ) 昭和四〇年一一月二日出金の二〇〇〇万円について

この二〇〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.三三五北原二郎(仮名)口座から払い戻したもので、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、右出金は、解約前日におけるほぼ全額の払戻しという解約と同視しうる払戻しであることから、仕入及び経費の支出に充てられたものとは認定できなかったものである。

(コ) 昭和四〇年一一月二五日出金の一〇一二万四七四〇円について

この一〇一二万四七四〇円は、同日、同和信用組合新宿支店の定期預金No.九八九方利俊口座の解約金で、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、同日、同店に設定された田中吾一名義の定期等金一〇〇〇万円に充てられたものであることが明らかであることから、被告は、右一〇一二万四七四〇円は仕入及び経費に充てられたものではないと認定したものである。

(サ) 昭和四〇年一二月二九日出金の一〇〇〇万円について

この一〇〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.四五四岩本幸正(仮名)口座から払い戻されたもので、2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、右口座は、同年八月七日突如として原告の営業の売上金が実名の預金口座に預け入れられるようになった際に新たに設けられた仮名の口座であり、売上金のうちある一定額がそこへ預け入れられていたという預金口座であって、右払戻しも同口座が同年一二月三〇日解約されるに先立ってその解約直前に払い戻されたという特異な払戻しであることから、被告は、右一〇〇〇万円は、仕入及び経費の支出に充てられたものではないと認定したものである。

(シ) 昭和四〇年一二月三〇日出金の二〇〇〇万円について

この二〇〇〇万円は、同日、同和信用組合新宿支店の普通預金No.四五四岩本幸正(仮名)口座の解約金二三三三万一三五五円と、前日同口座から払い戻された一一六万円のうち新宿企業の借入金利息へ支払われた一一五万五六〇〇円を差し引いた残額四四〇〇円の合計二三三三万五七五五円から、更に同年一二月三〇日同行に新規設定された三船実(仮名)名義の普通預金に入金された三三三万五七五五円を差し引いた残額である。

右二〇〇〇万円は、前記2(三)(6)<2>(ア)と同様の理由に加え、同日、同店に設定された芝田一雄名義の定期預金五〇〇万円、朴聖鎮名義の定期預金一〇〇〇万円及び広沢信子名義の定期預金五〇〇万円にそれぞれ充てられたものであることが明らかであることから、被告は、右二〇〇〇万円は、仕入及び経費に充てられたものではないと認定したものである。

(7) 小口払経費

小口払経費は、中央ビル店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費七五一万三七七五円、西武店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費一九一万九六四七円、白夜店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費八九万二〇〇一円及び王城店に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費四五〇万二八六六円の合計一四八二万八二八九円となる。

(8) 減価償却費

昭和四〇年分の減価償却費は、前記(三)(8)の昭和三九年分の場合と同様、事業用資産の取得価額が把握できた原告名義店舗、王城店及び白夜店については、法定償却方法である定額法によって算出したところのそれぞれ一〇七九万一八六六円、五四二万九五三三円及び二〇九万六六〇一円に、そして、事業用資産の取得価額が把握できなかった西武店については、前記(三)(8)の<2>、<3>と同様の理由により、白夜店の昭和四〇年分における減価償却費の売上金額に対する割合四・八七六六六パーセントを、西武店の同年分の売上金額に乗じて計算した三九一万九九九五円を加算して、昭和四〇年分の減価償却費を合計二二二三万七九九五円と算定したのである。

(9) 除却損

昭和四〇年中において、原告が廃棄処分を行ったスマートボール機械及びパチンコ機械に係る未償却残高を除却損として必要経費に算入したものであり、その合計額は二五七万四二八八円となる。

3  重加算税賦課決定処分の適法性について

原告は、前述で明らかなように各年分とも事業所得の計算の基礎となる収入金額の全部若しくは一部を仮名預金に預け入れ、あるいは事業所得の金額の一部を他人の名義によって申告して所得金額の分散を図り、所得税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところによって所得税の確定申告書を提出したものである。右事実は、国税通則法第六八条第一項の規定に該当するものである。

したがって、被告が右係争の各年分につき、前記法条項を適用して重加算税の賦課決定処分をしたことは適法であること明らかである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1に対する認否は以下のとおりである。

冒頭部分のうち原告が白色申告者であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(一)、(二)のうち各(1)、(2)、(4)の各所得金額が被告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。

2  被告の主張2に対する認否は以下のとおりである。

(一)、(1)のうち原告が原告名義店舗を原告個人で経営しているとして、昭和三九年分及び昭和四〇年分の所得税について確定申告書を被告に提供したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は本件三店舗を経営しておらず、本件三店舗の所得は原告に帰属するものではない。(2)のうち<1>、<2>の各事実は認めるが、<3>の主張は争う。(3)のうち西武店についての事実は否認し、その余の事実は認める。西武店については、その経営者たる方利俊が遠藤建設に工事を発注したものである。(4)のうち<1>の事実は否認する。西武店については、方利俊が自ら又はそのマネージャーからその売上高を把握しているもので、翌朝その売上金を銀行等に預金するまでの間、歌舞伎町スマートボール店の二階の金庫の中に保管してもらっていたにすぎないものである。<2>のうち預金口座の名義が、当初、仮名であったが、各店舗ごとに預金口座を区別していたこと、昭和四〇年八月七日以降は、各店舗ごとの経営者名義の預金口座で区別していたことは認め、その余の事実は否認する。新たに設けられたという仮名口座に、西武店の売上金が預金された事実はない。<3>の事実は認める。(5)<1>の事実は認める。ただし、経費の支払いは、各店舗において集計しており、西武店については各仕入業者を方利俊が選定し、かつ、注文を行い経費を把握したうえ出金を依頼していたもので、各店舗の経営者の手を離れて行われていたものではなく、被告の主張する者が出金の手続を行ったのは、各店舗の経営者の指示によるものである。<2>の事実は否認する。西武店については混同ないし流用の事実はない。(6)のうち<1>の事実は認め、<2>、<3>の各事実は否認する。(7)のうち<1>の事実は認める。ただし、営業規模を大きくみせるため、又は、チェーン店的な色彩からそのような名称が使用されていたにすぎないものである。<2>の事実は知らない。<3>の事実のうち、西武店の支配人について転勤があったことは否認する。その余の事実は知らない。原告の指示に基づく従業員の勤務場所の移動はあまりなかったものである。<4>、<5>の各事実は否認する。(8)の主張は争う。

(二)のうち(1)ないし(5)の各事実はいずれも否認する。これらの行為は原告が行ったものではない。(6)の主張は争う。

(三)のうち、(1)の各事実はすべて否認する。(2)のうち原告が被告主張のように売上金を区分して預金口座に預け入れていたこと、原告名義店舗の売上金合計額が別表三の該当欄記載のとおり一億三七〇〇万四九〇六円であることは認めるが、その余の事実は否認する。(3)の事実は知らない。(4)<1>のうち(ア)の事実は認めるが、(イ)ないし(エ)の事実は否認し、主張は争う。<2>のうち( )アの事実は認めるが、( )イないし( )オの事実は否認し、主張は争う。(5)のうち<1>の事実は認めるが、<2>ないし<6>の事実は否認する。(6)のうち<1>の事実は否認する。<2>のうち(ア)ないし(エ)の各事実は否認し、(オ)の事実は知らない。(7)のうち中央ビル店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」の小口払経費が一〇九万八九九〇円であることは認めるが、その余の事実は知らない。(8)<1>のうち原告名義店舗分の減価償却費が二二九万九九九四円であることは認めるが、その余の事実は知らない。<2>、<3>の主張は争う。

(四)のうち(1)の各事実はすべて否認する。(2)のうち冒頭部分及び<1>の主張は争う。<2>のうち、原告が昭和四〇年八月七日以降はそれまで使用していた仮名普通預金口座を解約して新たに新宿二丁目スマートボール店及び歌舞伎町スマートボール店の売上金を預け入れる原告名義の預金口座を大同信用金庫本店に、中央ビルパチンコ店分の売上金を同和信用組合新宿支店に設定したこと、同日同和信用組合新宿支店に岩本幸正、同年一二月三〇日同支店に三船実名義の普通預金口座を設定したことは認めるが、その余の事実は否認する。<3>ないし<5>の事実はいずれも否認する。(3)のうち中央ビル店(キャバレー・喫茶店)の電話使用料が一万五四一〇円であることは認めるが、その余の事実は知らない。(4)のうち<1>の主張は争う、<2>のうち(ア)の事実は認め、(イ)ないし(オ)の事実は否認し、主張は争う。(5)のうち<1>の事実は認め、<2>ないし<5>の事実は否認し、主張は争う。(6)の各事実はすべて否認する。(7)のうち、中央ビル店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」の小口払経費が七五一万三七七五円であることは認め、その余の事実は知らない。(8)のうち原告名義店舗分の減価償却費が一〇七九万一八六六円であることは認めるが、その余の事実は知らない。(9)の事実は認める。

3  被告の主張3は争う。

五  原告の反論

1  原告は原告名義店舗を経営しており、それによる事業所得は昭和三九年分が別表一五(一)のとおり五二二八万八一〇六円、昭和四〇年分が別表一五(二)のとおり三〇四六万一一二三円である。

2  本件三店舗の所得の帰属について

西武店は方利俊の、王城店は李昇鎬の、白夜店は金東淳の各経営に係るものであり、原告の経営に係るものではない。

(一) 西武店について

(1) 方利俊は、昭和二四年三月大学卒業後、新宿西口で宝来という店舗を経営していたが、昭和三四年六月二日設立された新宿企業が歌舞伎町二四番地にビルを建設するにあたり、昭和三五年二月八日建物賃貸借契約書を新宿企業と締結し(昭和四〇年二月八日更新契約を締結)保証金一〇〇〇万円のうち八〇〇万円程を自己資金として投入し、その賃借店舗で西武店を経営しているものである。

(2) 方利俊は、西武店のマネージャー(喫茶は斉藤、バーは田代で、被告の主張する転勤はない。)を採用し、七〇名程の従業員の給料計算を西武店の事務所で行って支払ったほか、毎日西武店に出て、マネージャーから売上の報告を聞き、毎日の日計、毎月の決算を把握していたものであり西武店の売上は西武店関係の預金に入金されて、他と区分できないものは存在しないものである。方利俊の当時の自宅は妻と四人の子供とで生活する新宿区角筈三丁目のアパート(現在の住所では西新宿三丁目のガスタンクの近く)で、昭和三九年、同四〇年当時においては人通りの少ない淀橋水道局、危険なガスタンクのあるところで浮浪者が多く、現金を自己又はマネージャーが持ち歩くには危険があり、金庫のある歌舞伎町メトロに保管してもらうことが売り上げを把握している方利俊としては便利であるだけでなく、一層安心な状態であった。

(3) 西武店の売上は、

昭和三九年分   八六、八一〇、七四〇円

昭和四〇年分   七〇、二三〇、八八三円

昭和四一年分   六四、一二一、三六七円

純利益 四、三五四、八四七円

昭和四二年分   七一、八九一、六一六円

純利益 五、〇二三、三一三円

昭和四三年分   六五、二三七、六三四円

純利益 三、七四四、二四七円

昭和四四年分   六六、六五九、六三〇円

純利益 三、六七五、九二三円

と毎年低迷し、他方、開店から一〇年を経過し、内装、改装工事に莫大な費用を必要とするに至り、店の近くに新しい店舗ができたこともあり先の見通しが闇いと判断した方利俊は、昭和四四年一二月二〇日三信商事株式会社(以下「三信商事」という。)と覚書を作成し、昭和四五年三月二七日西武店を三信商事に四四〇〇万円で譲渡した。その後この西武店は、三信商事が他に賃貸し、その借主の負担で内装工事をさせ賃料収入を得ている。

西武店の経営者は方利俊であり、昭和三八年以前、また昭和四一年から昭和四五年まで方利俊の所得として確定申告し、その経営形態は昭和四〇年八月七日仮名預金を止めた以外に変更がない。その西武店を四四〇〇万円で譲渡し、その全額を受領して、方利俊は昭和四〇年五月に購入した渋谷区大山町の一七〇坪の自宅の代金の借入返済等に使用している。

(4) 営業関係部門を担当する三信商事は本来の店舗部分に加え西武店のほか、王城店及び白夜店も譲り受け、方利俊は営業部長として採算の取れるところも、取れないところも一体とした経営を企ったが、営業箇所が多く、方利俊は、三信商事全体を見るよりは業績の良い王城店と三信会館を自己の経営として買い取る決意をし、建物に附帯する店舗設備・造作等譲渡契約書(昭和四六年三月一日)により、三信商事の経営していた王城店及び三信会館を総額二億五〇〇〇万円で買い受け、建物賃貸借契約書(昭和四六年三月一日)で建物所有者の新宿企業と王城店(保証金七〇〇〇万円、家賃六六万円)及び三信会館(保証金一億円、家賃六六万円)の賃貸借契約を締結し、昭和四六年一〇月二九日自己が設立した大星商事に経営を移行した。

なお、新宿企業と方利俊の経営する大星商事とは、三信会館を建て直したピックペックビルの賃貸借契約を昭和五二年九月五日締結し(保証金二億円、月額賃料五〇〇万円)、また、同日、王城店の賃貸借契約を締結した。

(5) 以上のとおり、方利俊は西武店を経営し、また、それを四四〇〇万円で譲渡し、それによって自己の差し入れた保証金等の回収をしたのである。

方利俊は、西武店の経営者であり、兄である原告とともに白夜店及び王城店の経営相談、その指導を行ったからといって、原告の使用人となるべきものではない。

(二) 王城店について

(1) 李昇鎬は、昭和三一年に同和信用組合(その後朝銀信用組合と商号を変更した)の新宿支店長に就任し、爾来、昭和五三年四月頃同組合の荒川支店長に転出するまでの間、取引先としての原告と公の交誼があっただけでなく、私的にも友好関係にあり、転出後も私的な友情関係は継続した。

(2) 李昇鎬は、そのような関係から原告に対して、退職後の生活設計等の相談を持ちかけるようになり、原告の助言と尽力により、昭和三八年七月五日新宿企業との間で建物賃貸借契約を締結し、王城店の経営(昭和三九年四月一日開店)を行ったものである。

(3) ところが、李昇鎬は店舗開設後病を得、営業を継続することが重荷となり、昭和四四年七月一四日、三信商事に王城店を九六〇〇万円で営業譲渡した。

李昇鎬は、右九六〇〇万円を三信商事の新株引受けに充てることとし、昭和四四年一二月九日三〇〇〇万円、昭和四五年一月二四日三〇〇〇万円、同年二月二六日三六〇〇万円をもってこれに充て、合計一九万二〇〇〇株の株主となったものである。

(4) 李昇鎬は、昭和四七年一月一五日病のため死亡した。

(三) 白夜店について

(1) 金東淳は、昭和二七年一月一二日から現在に至るまで大韓民国大使館に書記として勤務している現地職員であり、総務課において免税関係通関関係の業務に従事しているものである。

一方、原告はかねてより恩義ある金公洙から、同人の次男である金東淳の独立開業につき相談を受けていた。

(2) 金東淳は、将来の仕事について考えていたところ、新宿企業が豊島区西池袋一丁目四〇番地に五階建てのビルを建築していることを知り、昭和三八年三月ころ建築現場を見て、自己の希望により原告の経営指導を受け、また大使館勤務の仕事の関係から仕入及び支払を委託する形で昭和三八年四月一日建物賃貸借契約を新宿企業と締結した。保証金三〇〇〇万円のうち自己資金七四〇万円、残り一七六〇万円は借入金(朴奇南一六〇〇万円、妹一六〇万円)で準備したものである。

(3) 白夜店は、昭和三八年一二月二四日ころ開店したが、その経営状態はあまり良くなかった。

白夜店の売上は、

昭和三九年分   五三、九五一、八五六円

純利益 一九、五四一、八五一円

昭和四〇年分   三八、四五二、四九二円

純利益 五、七四九、七三六円

昭和四一年分   三五、九六七、七四一円

純利益 四五〇、九三九円

昭和四二年分   二九、七五九、三九一円

損失 一、八九六、七七〇円

昭和四三年分   一二、八一二、八六二円

損失 三、四一一、三七四円

白夜店の売上の減少は、地理的に不便なところに所在していることに加えて、客と従業員また、従業員同士の殺人事件が二回発生し新聞等で報道されたことも影響している。金東淳は、白夜店の業務内容をバー・喫茶からゴーゴーバーに変えるなど努力したが利益の向上にはならなかった。

(4) 金東淳は、白夜店を譲渡して自己の投下資本を回収することとし、昭和四三年六月二八日、三信商事に、白夜店を五五〇〇万円で営業譲渡した。

右譲渡契約によると、金東淳が受けるべき右譲渡代金中四四〇〇万円について三信商事の資本に組み入れることができる旨の条項が存するが、金東淳は、昭和四三年六月二八日三〇〇万円、昭和五一年九月三〇日五一八七万二六八六円(相殺部分一二万七三一四円が存在する。)の各支払を現金で受けているものである。

(5) 以上のとおり、金東淳が白夜店を経営し、また、その営業を譲渡して五五〇〇万円を回収しているものである。

3  仮に原告名義店舗の他、西武店、王城店及び白夜店もまた原告の経営にかかるものであるとしても、その事業所得の算定については、次のとおりの違法が存する。

(一) 昭和四〇年分の売上金の推計について

昭和四〇年分の売上金額は、被告が被告主張の預金等で把握した金八億四四五二万五九五七円と、被告主張の売上日計表等で確認した預金脱漏額一六五万五〇〇五円の合計金八億四六一八万〇九六二円の範囲で認められるべきである。

被告の昭和四〇年分売上金額推計根拠並びに方法は次のとおり不当であるので、被告主張の推計売上金額三六一六万四三七三円は認められるべきではない。

以下、被告の昭和四〇年分売上金額推計根拠並びに方法を検討する。

(1) 被告は、預金入金額から計算した売上金額がキャバレー・喫茶店分を除き、同年八月以降の売上金額がキャバレー・喫茶店分を除いて同年七月以前の売上金額と比較して激減して低額なものとなっている旨主張するが、別表七の「店舗区分不明分」合計金六三六〇万円を、各月の金額毎に各店舗に配分すれば被告主張の如く同年八月以降売上金額が激減して低額になったとはいい難いのである。

ちなみに、同表記載の各月毎の「売上金額合計」金額の推移を図示すると、別紙図面一の「売上金額推移」グラフのとおりとなる。

たしかに、右グラフによっても、同年八月の売上金額は他の月に比べて激減してはいるが、いわゆる夏枯の影響を強く受けるこの種の業種では、この時期に売上が激減するのは当然である。

また、一二月に売上が伸びるのもこの種の業種では当然であって、同年一二月は他の月に比べて著しく売上金額が高くなっている。

これらの特異な時期を除くと、年間を通じ同年三月から一一月までの売上は徐々に低下していったと見るのが正しいのであって、このように下降線を下る売上金額を七月以前と八月以降に区分して、八月以降の売上金額が激減しているとみる被告の見方は正しくない。

(2) 次に、被告は売上金額と仕入及び経費の金額との相関関係に触れ、同年一月ないし七月までの仕入及び経費の月平均額(年四八三一万七五三三円)に比べて同年八月ないし一二月までの仕入及び経費の月平均額(金五一二四万三七八八円)のほうが増加していると主張するが、別表一〇の同年一月ないし七月までの各店舗の仕入及び経費額には、かなりの計上漏れがあるため、その月平均額もかなり低額なものとなっている。

別表七の各店舗別の同年一月ないし七月までの各月売上金額と、別表一〇の各店舗別の同年1月ないし七月までの各仕入及び経費額とを対比すると、別表一六(昭和四〇年一月ないし七月分の各店舗別仕入及び経費の支払額と売上金額の対比表)のとおりとなる。

別表一六によって各店舗の各月の仕入・経費額と売上金額とのバランスを見ると、次の各店舗の次の月の仕入及び経費額は、同一店舗の他の月の仕入及び経費額に比べて低きに過ぎ、右各店舗の右各月分の仕入及び経費額は明らかに計上漏れがあるといわざるを得ない。

<省略>

右のように、同年一月ないし七月までの間の仕入及び経費額に計上漏れがあってその月平均額が低額となっている以上、被告主張の如く同年八月ないし一二月までの仕入及び経費の月平均額が同年一月ないし七月までの仕入及び経費の月平均額に比べて増加しているなどとはいえないはずである。

ちなみに、別表七記載の「仕入及び経費合計」金額と「売上金額合計」金額の各月の推移を図示すると別紙図面一のとおりとなる(各店舗毎の仕入及び経費の支払額と売上金額の各月の推移については、売上金額につき同年八月から一二月までの間合計六三六〇万円もの店舗区分不明分があるため図示することは不可能である)。

被告は売上金額と仕入及び経費の相関関係を指摘するが、同年一月ないし七月までの間にかなりの仕入及び経費額の計上漏れがあるのであるから、右図の一月ないし七月までの間の「仕入及び経費支払額推移」線は「売上金額推移」線に近づくはずであり、年間を通ずれば、売上が低下しているのに比べて仕入及び経費の支払額が逆に増加しているとはいえないはずである。

更に付言すれば、パチンコ、スマートボール店では売上が低下すると客を集めるために景品の数を増やさなければならないため、逆に仕入金額が増えてしまうのである。

右図で、売上金額の変動に比べて仕入及び経費額の変動が緩やかであるのは、このような原因も加わっているのであり、決して売上金額と仕入及び経費額の相関関係が崩れているわけではない。

次に被告は同年八月から一二月までの差益率が、同年一月から七月までの差益率に比べて一〇パーセント以上も低率である旨主張するが、一月ないし七月までの間にかなりの金額の経費計上漏れがあるのであるから、八月以降の差益率が低率となるのが当然である。

ちなみに、別表七記載の「仕入及び経費合計」金額と「売上金額合計」金額によって同年各月毎の差益率を計算すると別表一七記載のとおりとなる。

右表によっても、同年九月、一〇月の差益率は三月、七月の差益率に比べて効率である(一〇月の差益率は六月の差益率よりもなお高率である)他、既に同年六月からは差益率が徐々に低減する傾向にあったことが認められる。

以上述べたとおり、被告の昭和四〇年分の売上金、仕入経費額、差益率に対する見解は不当であるため、売上金の一部が被告主張の預金口座に預け入れられていなかったことを推認する根拠としては、同年一二月一七日、同月二〇日ないし二三日までの被告主張の売上日計表等に記載された金額の一部が被告主張の預金口座に預け入れられていなかったという一事にすまなくなる。

しかし、右の事実から直ちに同年八月ないし一二月までの間に被告主張の如き売上金額預け入れ除外の事実があったと推認するのは早計に過ぎ、結局売上金を推計しなければならない必要性を欠くことになるのである。

(3) 最後に、被告はキャバレー・喫茶店を除き、単に昭和四〇年一月ないし七月の月平均売上金額を以て八月以降の月平均売上金額として推計しているが、この種の業種は、近隣に同種店舗が開設されればたちまち売上は低減し、更に、景気変動、季節、天候等によっても売上は大きく増減するのであり、加えてパチンコ、スマートボール店の経営はブームの消長に強く左右されるという特殊事情もあるのであるから、右のような単純な推計方法は全く合理性がないのである。

(二) 異常多額な預金払出額の認定について

被告が、本件係争各年分の仕入及び経費として認められない異常多額な預金払出額であると主張するものは、原告が預金払出の日に仕入代金の支払等営業経費に支出したものであり、これらは営業経費に算入されるべきである。

(1) 被告主張の額は営業経費として支出したものである。

<1> 昭和三九年分 二六九〇万円

被告の主張2(三)(6)の二六九〇万円は、いずれも、仕入代金の支払や昭和三九年一一月に開店したキャバレー「メトロ」のホステス引き抜きのための費用(バーンス)として支出した。

<2> 昭和四〇年分 二億一八一五万六七二九円

被告の主張2(四)(6)<2>の異常多額な預金払出額二億一八一五万六七二九円は仕入代金として支出したものであるから、営業経費に算入されるべきである。

そして、昭和四〇年八月以降預金払出が集中し、かつ、多額となったのは、次の理由によるものである。

(ア) 昭和三九年一月、原告の営業の本拠地であった新宿区角筈一丁目一番地中央ビルが火災にあって消失したため、原告はアサヒビール株式会社の保証を得て三井銀行新宿支店から五〇〇〇万円を借入れて中央ビルを再建し、同年一一月よりパチンコ「メトロ」、喫茶「西武」、キャバレー「メトロ」の三店舗(中央ビル店)を再開することとなった。

(イ) 原告の従前からの仕入先は原告の被災に同情して、原告の中央ビル店の経営が軌道に乗るまで、仕入代金の支払を猶予した。

(ウ) 昭和四〇年八月以降、中央ビル店の経営は順調に進むようになり、原告はそれまで猶予を受けていた仕入代金を、順次支払うようになった。このため、原告の預金の払出も集中し、かつ、多額になっているのである。

(2) ちなみに、同一人の同一営業が歴年継続する場合においては、営業形態の変化、経済状態の変動、その他の特別事情なき限り、純利益率は相対的に変化しないのが原則であろう。ところが、被告主張のとおりに、原告の昭和三九年・四〇年分の事業所得の売上金額に占める割合率を算出し、昭和四一年分以降の純利益率の平均と対比すると、異常に高率であることが判明する。

<1> 昭和三九年・四〇年分純利益率

<省略>

<2> 昭和四一年分より昭和四九年分までの純利益率

(内訳は別表一八のとおりである。)。

昭和四一年分 五・〇六%

昭和四二年分 六・一七%

昭和四三年分 四・八八%

昭和四四年分 一〇・四三%

昭和四五年分 九・一一%

昭和四六年分 一一・五四%

昭和四七年分 一三・四五%

昭和四八年分 一四・〇五%

昭和四九年分 一〇・六〇%

(以上平均 九・四八%)

<3> このことは、「異常多額な預金払出額」が実際には経費として支出されていたのにもかかわらず、被告がこれを経費として算入しなかったことの結果であって、被告の課税方法の不当性を明白に物語っているものである。

六  原告の反論に対する被告の再反論

1  昭和四〇年分の売上の推計について

原告は、仮に原告が白夜店、王城店及び西武店についても実質的な経営者であると認められたとしても、昭和四〇年分の売上金額は被告が被告主張の預金等で把握した金八億四四五二万五九五七円と、被告主張の売上日計表等で確認した預金脱漏額一六五万五〇〇五円の合計八億四六一八万〇九六二円の範囲で認められるべきであると主張し、被告の昭和四〇年分の事業所得に係る売上金額の算定根拠について、その推計の根拠並びに方法につき批判を加えているが、右原告の主張は次のとおりいずれも失当であって、被告における右推計の必要性並びに合理性は十分と認められる。

(一) 昭和四〇年分の売上金額推計の必要性について

(1) 原告は、各預金等に預け入れられた昭和四〇年八月以降の売上金額が同年七月以前と比較して激減しているとの被告の主張に対して、「店舗区分不明分」六三六〇万円を含めて見れば、八月及び一二月の特異な時期を除くと、三月以降一一月まで徐々に売上金が減少傾向にあると見るのが正当である旨主張しているが、それは、次のとおり明らかに失当であり、適正・公平な課税を実現するためには、同年八月以降の売上金額の一部を推計により計算せざるを得なかったものである。

<1> すなわち、売上金を預け入れていた仮名預金口座を実名にきりかえ、同時に、売上金の一部を預け入れるため別の仮名預金口座を設定した同年八月七日以降とその前日までの売上金の預金預入額等を比較して見るに、八月二日ないし同月六日(売上金が預金されるのは翌日のため、現実の売上月日は、八月一日ないし同月五日である。)までの五日間の全店舗の売上金の預入額等は、合計一一四三万八二七三円で一日当たり二二八万七六五四円であるのに対し、同月七日以降九月一日(前述同様、現実の売上月日は、八月六日ないし同月三一日である。)までの二六日間の売上金の預け入れ額等(店舗区分不明分も含む。)は、合計四六七九万六六九三円で一日当たり一七九万九八七二円であり、八月七日以降は、一日当たり四八万七七八二円と二一・三二パーセントも激減している。

<2> また、右預金等から把握した(別表七及び別表九参照)同年一月ないし七月分の一日平均売上金額は、次のように二四〇万三五四三円

<省略>

1月1日ないし7月31日の間の売上日数(212日)

であるのに対し、原告が異常に売上金が高くなると主張する一二月分を含めて計算しても、八月ないし一二月分の預金等により把握した売上金額の一日平均額は、二一八万九三七七円で、

<省略>

右八月以降は、一日当たり二一万四一六六円、一か月間(三〇日)では六四二万四九八〇円も減少しているのである。

<3> 更に、同年一二月一七日、二〇日ないし二三日の間における売上日計表等に記載された売上金額と預金への預入額及び小口現金出納簿の受入額との対比の結果、売上高の一部が右原告の各預金口座に入金されていない事実(別表八)があることからも、売上の脱漏(売上金の預金への預け入れ除外)の事実が明らかである。

(2) 次に、原告は、売上金額と仕入及び経費の相関関係に係る被告の主張に対し、各店舗別、月別の仕入及び経費の額(別表一〇)、各店舗別、月別の売上金額(別表九)の対比により算出したその店舗別、月別の経費率別表一六に異常な数値があることをもって、同年一月ないし七月分の仕入及び経費の額には計上漏れがあると結論し、同年八月以降の仕入及び経費が増加しているとはいえない旨を主張しているが、右原告の主張は、次のとおりいずれも失当である。

<1> すなわち、別表一〇は、原告の本件に係る所得税法違反けん疑事件の調査の際に確認された、売上金を預け入れていた各預金及び右預金の振替え等によって別に設定された原告の各預金、更に、小口現金出納簿の出金額から計算した、右預金等の払出額を月別、店舗別に集計した金額(その払出額の各店舗別の区分は、その預金口座にどの店舗の売上金を預け入れていたかによって区分しただけのものである。)であって、経費の発生額ではなく、しかも、その払出の状況は、各店舗別の売上金を預け入れていた預金口座から、当該店舗の仕入代金及び経費を支払っていたとの対応関係にはなく、店舗間で資金の流用の事実が認められるのであって右の各別表の係数により、店舗別、月別に経費率を比較しても意味のないものであるから、これをもって、同年一月ないし七月分の仕入及び経費が計上漏れであるとの原告の主張は短絡にすぎるといわなければならない。

<2> ちなみに、別表一二の昭和四〇年分の取引先調査等で把握した仕入及び経費の月別、店舗別明細表の金額(なお、この金額には「費目区分のできない経費」は含まれていない。)と別表七の昭和四〇年分の預金等により把握した売上金額調査書の金額によって、支払額と発生額の相違また店舗間流用の点を排除する意味で、全店舗合計額により、一月ないし七月分の合計と八月ないし一二月分の合計での差益率(なお、この逆数が経費率である。)を比較検討すれば、次のとおり、一月ないし七月分の差益率は、三七・九三パーセントであるのに対して、八月ないし一二月分は、二一・三五パーセントとなり、一六・五八パーセントも低率である。

<1> 昭和40年1月ないし7月分の差益率

<省略>

<2> 昭和40年8月ないし12月分の差益率

<省略>

<3> また、昭和四〇年分の「費目区分のできない経費」を全額同年一月ないし七月分の仕入及び経費の額と見ても、その差益率は、次のように三二・八七パーセントとなるのであって、同年八月ないし一二月分の差益率は、右の一月ないし七月分と比べ一一・五二パーセントも低率である。

<省略>

<4> ちなみに右算式の数値から、一月当たりの仕入及び経費の額をみると、四八八六万四七六〇円であるところ、前記(2)の<2>の算式から八月以降の同金額をみると、五二六八万七〇九八円となり、右八月以降、原告の各店舗の営業種目、営業規模、営業形態又は業況に特段の変化が見受けられないこと並びに売上金額と仕入及び経費の相関関係から判断すると、右八月以降の売上金額が増加して然るべきところ、逆に、八月以降の預金等により把握した売上金額が、それ以前の一月ないし七月分と比較して減少傾向にある事実を合わせ考えれば、原告主張のように、一月ないし七月分の仕入及び経費の額に計上漏れがあるとは到底認められず、むしろ、八月ないし一二月分の売上金額の預金口座への預け入れ除外の事実が明らかに認められるのであり、原告の右主張は、失当というほかない。

(3) 本来、取引の証ひょう書類等がすべて保存され、しかも、帳簿が誠実に整備されている場合には、実額調査の方法によって、売上金額又は必要経費を算定すべきは当然であるが、本件にあっては、原告も自認しているように、小口現金出納簿を除いては、全く帳簿を備え付けて継続的な記帳を行っておらず、また、取引の証ひょう書類等も断片的にしか保存されていなかったので、被告は、やむを得ず、売上金額及び必要経費の額をそのほとんどが仮名である原告の各預金の入出金額等から算定せざるを得なかったものである。

また、昭和四〇年八月七日には、右仮名預金を実名にきりかえてはいるものの、別途に仮名の普通預金を設定し(同和信用組合新宿支店の岩本幸正名義、なお同年一二月三〇日には、三船実名義にきりかえている。)、右口座に、店舗区分のできない形で売上金を入金している事実があり、しかも、右同日を境にして、売上金の預金への預け入れ額等は、減少している事実及び年末の五日間ではあるが、売上金の預金除外の事実が明らかなのである。

更に、右(2)の差益率の面からの検討によっても、同年八月以降は、それ以前と比べ差益率が低下しており、売上金額と仕入及び経費の相関関係から考察すれば、右同月以降の仕入及び経費と同様、売上金額も増加して然るべきところ、逆に、預金への預け入れ額等から算出した売上金額が減少している事実が認められることは、売上金の預金口座への預け入れ除外の事実が明白に裏付けられるのである。

したがって、被告は、公正・妥当な売上金額を把握し、もって、適正・公平な課税の実現を図る必要上、同年八月ないし一二月分の売上金額に係る右預金除外の売上金額について、推計の方法によって、算定せざるを得なかったものである。

(二) 昭和四〇年分の売上金額の推計方法の合理性について

原告は、被告の推計方法に対して、喫茶・パチンコ・スマートボールの業種は、近隣に同種店舗の開店、景気変動、天候等で売上が変動し、更に、パチンコ・スマートボールの経営はブームの消長に強く左右されるとの特殊事情を一切加味しないで、単に、原告の同年一月ないし七月分の月平均売上金額をもってするのは、不当の旨主張しているが、これも失当である。

すなわち、右原告の業種における特殊事情の主張は、いずれも漠然とした抽象論にすぎないものであり、前述のように帳簿等による実額調査が不可能な状況のもと、推計の必要性が十分に認められ、また、被告主張の推計方法は、原告の同年一月ないし七月分の実額を基礎としているものであり、仕入及び経費の額が増加しているにもかかわらず差益率(算式参照)により推計せず、

(算式)

昭和40年8月ないし12月の仕入及び経費の額÷昭和40年1月ないし7月(1- )=昭和40年8月ないし12月の売上

昭和四〇年一月ないし七月までの平均売上高にとどめたものであり、同業者率あるいは、原告の他の年分の数値等をもって推計するよりも、より安全性の高い合理的な方式であると認められ、原告の批判は明らかに失当である。

2  異常多額な預金払出額の認定について

(一) 異常多額な預金払出額の認定の合理性について

原告は、仮に原告が白夜店、王城店、西武店につき実質的な経営者と認められたとしても、被告が本件係争年分について、仕入及び経費と認められないとしている「異常多額な預金払出額」のうち、昭和三九年分の二六九〇万円は、仕入代金又はホステス引抜費用(バーンス)として、また昭和四〇年分の一億七三七四万三〇七九円は仕入代金として支払った旨主張する。

しかしながら、右原告の主張は、次のとおりいずれも失当であり、被告が、異常多額な預金払出額を仕入及び経費として認めなかったことには、十分合理的な理由があるというべきである。

(1) 被告が、本件係争各年分の仕入及び経費の額を算出した方法は、原告の営業に係る売上金は、小口現金払経費に充てる資金を除いて、ほとんどが預金されており、したがって、仕入及び経費は、右預金から払出されているであろうとの前提に立って、右預金からの払出額のうち、仕入及び経費の支払と認められない固定資産等の取得資金、借入金の返済、他の預金間での振替等明らかに経費ではない使途に充てられたもの、及び、その他の使途不明の異常多額な預金払出額と認められるものを除いて、その余の払出額をすべて仕入及び経費の額と認めたものである。

(2) すなわち、預金の払出額のうちには、仕入及び経費とは認められないさまざまな使途のための払出金が含まれていることが明らかであるにもかかわらず、原告は、仕入及び経費の額を算出すべき帳簿書類等を保存していなかったため、これら帳簿書類により、仕入及び経費の額を算出することはもちろん、右預金の払出額のうち仕入及び経費の額と認められるものを特定することさえできなかったのであり、被告は、やむを得ず、預金の払出額から前述の仕入及び経費とは認められない払出金を除き、その余の払出額のすべてについて、その使途を究明することなく、概括的に仕入及び経費の額を認めたものである。

(3) したがって、被告の採用した方法は、原告にとって極めて有利な方法というべきであり、しかも、仕入及び通常の経費の支払については、預金の払出額から支払われた蓋然性が極めて高いのであるから、被告の算出した仕入及び経費の額は、原告の通常、一般的な必要経費の額をすべて含むものと認められるのである。

(4) ところで、被告の主張する異常多額な預金払出額について、それぞれ仕入及び経費の額と認めなかった理由は、被告の主張2(三)及び(四)の各(6)のとおりであり、右理由をもって、異常多額な預金払出額を仕入及び経費の額から除外したことの合理性は一応認めることができるのであって、しかも、被告が、預金入金のうち、売上金の預入れでなく資金源の判明しないもの、すなわち、「異常多額な預金預入額」を「仕入・経費と認められない支出金額」から異常多額な預金払出額の戻りとして減算していること(別表六の(2)のホ及び別表一四の(2)のホ。原告は、この資金源について何ら明らかにしていない。)及び売上金のうち、預金に預け入れられない資金が存在したこと、更に、原告は、多数の仮名預金を有していたこと等から、原告は、被告の把握し得なかった資産(仮名預金等)を有していたことは明らかであり、異常多額な預金払出額が、これら被告の把握し得なかった資産の取得(未把握預金への振替えを含む。)に充てられたことも十分考えられるのである。

(5) 以上のとおりであるから、被告の主張する異常多額な預金払出額が、仕入及び経費の額に充てられるべき出金である可能性は極めて少ないものであり、しかも、通常でない原因及び支払方法でなされた異常な支払と認められる以上、原告において、それが仕入及び経費に充てられたものであること(支払原因、支払日、支払先等)を明確にして、はじめて仕入及び経費の額と認められるべき性格のものである。この点について、「必要経費の存否および額の立証責任も原則として行政庁側にあるものと解すべきであるが、納税義務者が行政庁の認定額を越える多額の必要経費を主張しながら、具体的にその内容を指摘せず、行政庁として係争部分の存否、額についての検証の手段を有しないときには、経験則に徴し相当と認められる範囲でこれを補充しえないかぎり、これを架空のもの(不存在)として取扱うべきである。」(広島高裁岡山支部昭和四二年四月二六日判決、行政事件裁判例集一八巻四号六一四頁。)という判例からみても被告の主張は正当である。

(6) ところで、原告は、異常多額な預金払額の使途について、ホステス引抜費用及び仕入代金として支払った旨主張しているが、その支払先、支払年月日等を全く明らかにせず、また、仕入代金については、昭和三九年一月に中央ビルが火災にあって焼失したことに伴い、支払の猶予を受け、同年八月以降順次支払った旨主張するが、仕入代金の支払を猶予されたのであれば、その明細及び支払金額、支払年月日等を明らかにすることは、特に困難なこととは認められないにもかかわらず、何ら明らかにしていない。

ちなみに、原告に係る本件査察調査において、原告の仕入先の調査を実施しているが、この結果をみても、原告の主張するような事実を窺知すべきものは全く認められなかったのである。

しかも、原告は、異常多額て預金払出額との関連から、当然明らかにすべき異常多額な預金預入額との関連さえも全く明らかにしていないのである。

(7) そもそも、本件においては、前述したとおり、原告が帳簿書類等を何ら保存していなかったこと、売上金の保管、仕入及び経費の支払が、大部分において預金を通じて処理されていたことから、被告は、預金の取引記録を一種の現金出納帳に見立てて、所得金額を算定したともいえるのであって、異常多額な預金払出額はまさに使途不明金というべきものであると解され、右使途不明金について、原告から肯首するに足る合理的な使途の説明がない限り、原則として原告の家事費と推認するのが相当というべきである(福岡高裁昭和五二年九月二九日判決、税務訴訟資料九五号七〇二頁。)。

(二) 純利益率について

原告は、本件係争の両年分と昭和四一年以降同四九年分の「純利益率」の平均とを対比し、本件係争の両年分のそれは、他の年分のそれと比較して異常に高率であるとし、これは、「異常多額な預金払出額」を経費としてみていない結果である旨主張している

しかしながら、右原告の主張は、次に述べるとおり、明らかに失当である。

(1) すなわち、本件の仕入及び経費の額は、詳細な調査、検討を加えて認定したものであって極めけ合理的なものであるというべきであり、殊更、本件係争年分以降の純利益率を用いて事業所得金額を計算しなければならないような必要性はないのであって、しかも、原告主張の昭和四一年以降の各年分の売上金額及び事業所得の金額が適正・正確に算定されたものであるとの保証は、何もないのである。

(2) また、原告の主張する利益率自体、その最低は、マイナス二六・六二パーセント(昭和四三年分「金東淳」)、最高は、一六・八九パーセント(同四四年分「李昇鎬」)、同一店舗であっても、李昇鎬の場合、最低は、二・〇四パーセント(同四三年分)というように、相当な格差が認められるのであり、(別表一八)、昭和四一年以降、業況に特段の変化があったとの証拠がないにもかかわらず、右のような格差が認められるということは、とりもなおさず、原告の右申告額が正確でないことを物語っているといえる。

(3) したがって、原告主張の純利益率をもって、本件係争の両年分が異常に高率であるとの主張は、それ自体無意味であり、これをもって、異常多額な預金払出額を経費と認めない結果である旨の原告の主張は、明らかに失当である。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び承認等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  本件処分の経緯等について

請求原因1、2の各事実及び本件各年分の総所得金額のうち事業所得を除く、その余の配当所得、不動産所得、雑所得の各金額については、当事者間に争いがない。

そこで、以下、事業所得金額について判断する。

二  事業所得の帰属について

原告は、原告名義店舗の営業による事業所得について、所得税の(白色)確定申告を行っていたところ、被告は、右原告名義の店舗のほか、本件三店舗も原告の経営に係るものであり、これから生ずる所得も原告に帰属すべきものであると主張する。

これに対し、原告は、西武店は方利俊の、王城店は李昇鎬の、白夜店は金東淳のそれぞれ経営に係る店舗であり、これから生ずる所得は原告には帰属しないと主張する。

そこで、以下、この点について検討する。

1  (建物の所有関係について)

本件三店舗が入居している建物とその敷地は、いずれも新宿企業の所有する物件であること、新宿企業の代表取締役は、登記簿上禹東洛であるが、同人は原告と原告の実弟である方利俊の妻の弟という姻戚関係にあり、かって、原告の経営するパチンコ店等で原告に雇用されたことがあるものの、昭和三十六年ころからは青森県八戸市において割烹等を営んでいる者であって、新宿企業を統括しあるいはその実質的な運営を行ったことはないこと、新宿企業を設立し、実際の経営を統括していたのは原告であって、本件三店舗に係る敷地等の取得の交渉や代金の支払等も原告が行っていたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  (内装工事等について)

(一)  王城店及び白夜店の開業に当たり、原告が、内装工事、照明及び音響の電気工事並びにその他附帯設備工事の手配及び代金の支払を行ったこと、これは、原告名義店舗である中央ビル店の開業の際と同様であったこと、原告は、右各店舗の名義人である李昇鎬、金東淳との間で右内装工事代金を精算しなかったこと、また、原告は、右各店舗の右各工事に係る工事請負契約書等を、三井銀行新宿支店の原告の仮名(小野俊雄名義)の貸金庫に保管していたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない乙第二、第三号証、第三〇号証、証人竹下文男、同方利俊(後記措信しない部分を除く。)の各証言によると、西武店の内外装工事は、遠藤建設株式会社が施工したが、右工事請負契約の交渉は原告が行い、右工事代金も原告名義店舗である中央ビル店の事務所において支払われたこと、これは、王城店及び白夜店の工事の際と同様であり、また、西武店の右工事請負契約書等は三井銀行の原告の仮名(小野利雄名義)の貸金庫に保管さていたことが認められ、証人方利俊の証言中、右認定に反する部分及び右認定に反する原告本人尋問の結果は措信できず、他に、右認定を左右するに足る証拠はない。

3  (売上金の管理について)

成立に争いのない甲第一六号証、乙第四ないし第八号証、第一三ないし第一七号証、第一九ないし第二一号証、第二三ないし第二六号証、第三一号証の一ないし七、第三二、第三三号証、第四六号証、証人竹下文男、同方利俊の各証言によると、以下の事実が認められる。

(一)  本件三店舗においては、毎日の売上金は次のように管理されていた。すなわち、原告名義店舗と同様に、毎日閉店後にそれぞれ売上金額を集計したうえ、各売上金を包装し、その包装した包みに、売上集計表ないし売上伝票を添付する。各店舗のマネージャーないし支配人は、当日の午後一一時すぎころ、右包みを本店と呼ばれていた歌舞伎町スマートボール店の二階にある事務所に持参し、右事務所において、留守番をしている橋本ヒロあるいは椎名某という女性に手渡す。翌朝、原告の妻が、右橋本ヒロらからこれを受けとり、各店舗からの売上金額を確認したうえ、同所に集金に来る金融機関の職員に手渡して預金していた。

(二)  右預金の方法についてみると、昭和三九年分の売上金のうち原告名義店分は、新宿二丁目スマートボール店、歌舞伎町スマートボール店とを合わせてスマートボール店分とし、中央ビル店は、このうちパチンコ「メトロ」分をパチンコ店分とし、喫茶「西武」、キャバレー「メトロ」とを合わせてキャバレ・喫茶店分と三つに区別し、また、西武店、王城店、白夜店をそれぞれ区別したうえ、別表一記載のとおり、各金融機関に、一部原告名義を含む多数の仮名預金口座を分けて預金していた。昭和四〇年分の売上金についても、別表二記載のとおり、当初は、昭和三九年分と同様に預金されていたが、昭和四〇年八月七日をもって、一斉に、原告名義店分は原告名義の、本件三店舗分はそれぞれの経営者名義の預金口座が設定され、以後各預金口座ごとに売上金が入金されていたが、同時に、同和信用組合新宿支店に岩本幸正、後に三船実という仮名の普通預金口座が設けられ、これには、いずれの店舗の売上金であるのか、判別不能な状態で預金されるに至った。

(三)  また、原告の妻は、昭和四〇年二月及び三月においては、全店舗の売上金額と小口現金払経費の明細を大学ノートに記録していたが、他の期間については、記録をとることなく、日々の売上集計表も翌日の検討が終われば、すべてこれを破棄していた(右事実は、当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

4  (経費の支払等について)

前掲乙第四ないし第六号証、第一三、第一四号証、第一七号証、第一九号証、第二四号証、第三二号証、第四六号証によると、以下の事実が認められる。

(一)  本件三店舗の経費の支払は、通常、原告名義店舗の場合と同様に、各取引先からの請求書が右各店舗を通じて、中央ビル内に勤務している大城こと宮代澄子を経由し又は直接に、歌舞伎町スマートボール店二階事務所内で原告の妻に渡され、同女が右請求書に基づいて銀行等の集金員から払戻しを受けたうえ、右大城を経由し又は直接各店舗の責任者に支払金を手渡していた(右事実は、当事者間に争いがない。)。

(二)  また、本件三店舗の従業員に対する給与の支払は、各店舗において支給額を計算したうえ、右計算書を、王城店及び白夜店は中央ビル内に勤務している大城を経由し、西武店は直接歌舞伎町スマートボール店二階の原告の妻に渡し、同女が右計算書に基づいて銀行等の集金員から払戻しを受けたうえ、右大城を経由し又は直接各店舗の責任者に支払金を手渡し、各店舗において、責任者が従業員に給与として支払っていた。

(三)  右経費の預金からの支払は、原則としてそれぞれの店舗に対応する預金から支払われていたが、西武店の売上金を預け入れた預金口座から他店舗の経費の支払がなされているなど、預金の払戻しには、各店舗相互間に流用がみられ、また、これらの預金の払戻しは、原告及び原告の妻の裁量に任されていた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

5  (本件三店舗の営業状況について)

(一)  本件三店舗の従業員らは、日常、原告を社長、方利俊を専務、李昇鎬及び金東淳をマスターと呼び、中央ビル店内のキャバレー「メトロ」の予定表帳等にも、社長及び専務として区別された行動予定が記録されていた(右事実は、当事者間に争いがない。)。

(二)  前掲甲第一六号証、乙第七号証、第一四号証、第二四、第二五号証、成立に争いのない甲第一五号証によると、本件三店舗の支配人又は主任といわれる職制の従業員にあっては、例えば、東條友洋は、昭和三九年四月西武店支配人から王城店の酒場部門の支配人となり、宮沢博己は、昭和三八年一二月西武店主任から白夜店に移り、昭和三九年三月右東條と入れかわりに西武店支配人となり、更に昭和四〇年六月王城店の喫茶部門の支配人となったなど本件三店舗間を相互に移動した多くの例があり、これらは、原告又は方利俊や上司の指示により行われたもので、店舗を変わる際に、退職の手続きなどは措られておらず、いわゆる勤務場所の変更にあたるものとして取り扱われていたことが認められ、右認定に反する証人方利俊の証言は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  前掲乙第一三、第一四号証、第二三号書鵜、第三〇号証、証人竹下文男、同方利俊(後記の措信しない部分を除く。)の各証言によると、ボーイ等一般の従業員の採用は、各店舗独自に行われていたが、各店舗で採用されたボーイを同一箇所に集めて講習会が開かれ、また、白夜店の従業員について、その身分証明書を方利俊が発行していたことが認められ、証人方利俊の証言中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(四)  前掲乙第二三号証、第三〇号証、証人竹下文男の証言によると、本件三店舗では同一の様式の営業日報を使用していただけでなく、白夜店では西武店名義の物品出納日報を使用していたこと、また、各店舗間に商品材料、備品が流用されていて、昭和四一年五月の東京国税局による差押えの際にも、原告名義店舗の伝票綴り中に、王城店や白夜店宛の電気料金等の領収証などが数多く混在していたこと、中央ビル店に遠藤建設から王城店や白夜店に宛てた修理工事代金等の請求書がある一方、西武店に王城店や白夜店の雑貨の領収証等があり、また、請求書中には中央ビル店、白夜店、王城店分を一括して計算して請求したものもあったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(五)  前掲乙第二三号証、証人竹下文男の証言によると、原告が、三井銀行に対して、中央ビル建築資金の融資の申込みのために作成した経歴、企業規模等の説明資料中には、本件三店舗がいずれも原告の経営に係るものである旨の記録がなされており、同銀行作成の貸付稟議書中にも、本件三店舗がいずれも原告の経営に係るものである旨の記載がなされていたこと、また、原告が小田急ビルに出店するに際して同テナントに対して提出した説明書中には、本件三店舗は原告の経営に係るものである旨の記載がなされていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

6  (原告と、本件三店舗の名義人との関係について)

前掲乙第八号証、第一三ないし第一五号証、第一七号証、第二〇号証、成立に争いのない乙第九ないし第一二号証、証人竹下文男、同方利俊(後記の措信しない部分を除く。)、同金東淳(後記の措信しない部分を除く。)の各証言によると、以下の事実が認められる。

(一)  本件三店舗においては、原告名義店舗と同様、営業状況を把握することのできる売上帳簿等の帳簿類は作成していなかったばかりでなく、原告においても、各店舗の営業状況を把握することのできる帳簿類は作成していなかった。

(二)  原告は、本件三店舗の営業名義人に対し、各売上高、営業収支等について報告をしたこともなく、また、売上金の保管状況を明らかにしたこともなかった。他方、本件三店舗の名義人においても、原告に対し、各店舗の営業収支等について説明を求めたこともなかった。

(三)  原告は、王城店の名義人である李昇鎬に対し、手当として月額三万円ないし五万円を、白夜店の名義人である金東淳に対し、同様に月額三万円をそれぞれ支給していた。

以上の事実が認められ、証人方利俊、同金東淳の各証言中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右の1ないし6において認定した各事実によれば、本件三店舗は、いずれも原告の統括する企業の所有に係る建物に入居し、開業の際の内装工事などの準備行為も原告が行っており、各店舗の営業形態をみても、その売上金はすべて原告ないし原告の妻が管理し、経費の支払も原告ないし原告の妻の裁量で支払われ、各店舗の従業員は、社長と呼ばれる原告や、専務と呼ばれる方利俊の管理の下に勤務しており、商品材料や備品も各店舗間で流用されていたというのであり、また、取引先のうちには、本件三店舗を原告の経営に係るものと認識して取引をしているものがあり、原告においても金融機関等に対して本件三店舗をも自己の経営に係るものであると説明し、融資を受けるなどしていたのであり、更に、原告と各店舗名義人との関係においても、各店舗名義人は具体的な収支状況を把握しておらず、原告も各店舗名義人に対して、売上金の管理方法や、収支の状況を報告したこともなく、原告は、李昇鎬や金東淳に対して毎月手当を支給していたというのであるから、結局、本件三店舗は、原告名義店舗と同様、原告の実質的経営に係るものであり、各店舗名義人は、原告の営業活動の一部を手伝っていたにすぎないものというべきである。

7  これに対して、原告は、各店舗の名義人は、それぞれ開業するにあたり、建物賃貸人である新宿企業に対して保証金を差し入れるなどしており、それぞれの事情から原告の指導と援助を受けてはいたものの、各店舗を経営していたものであると主張するので、なお、各店舗ごとに、この点について判断する。

(一)  西武店(名義人方利俊)について

原告は、方利俊は、西武店を開業するにあたり、新宿企業と建物賃貸借契約を締結して保証金一〇〇〇万円のうち八〇〇万円を自己資金で差し入れ、右店舗を経営していたが、西武店の売上げが低迷するなどしたため、昭和四五年三月二七日三信商事に四四〇〇万円で営業譲渡し、自らは三信商事の営業部長となったものであり、三信商事はこのほか王城店、白夜店も営業譲渡を受けたが、方利俊は、昭和四六年三月一日、三信商事の経営していた王城店と三信会館を二億五〇〇〇万円で譲り受け、更に、同年一〇月二九日、方利俊が設立した大星商事に経営を移行したものであり、このように方利俊は西武店に出資し、経営していたものであると主張する。

(1) そこで、まず、右建物賃貸借契約について検討するに、原告の主張に沿う次のような証拠がある。すなわち、昭和三五年二月八日付で方利俊と新宿企業との間の保証金一〇〇〇万円とする建物賃貸借契約書及び昭和四〇年二月八日付更新契約書(証人方利俊の証言により成立の認められる甲第一、第二号証)が存し、また、方利俊の刑事公判廷における供述(前掲乙第一三、第一四号証)及び証人方利俊の証言並びに原告の刑事公判廷における供述(前傾乙第三号証)及び原告本人尋問の結果中には、原告の右主張に沿う部分及び方利俊は、西武店を開業するにあたり、自己資金を投入して、新宿企業に保証金一〇〇〇万円を差し入れ、遠藤建設に内装費として五〇〇万円ないし八〇〇万円を支払ったとの部分がある。

しかしながら、前掲乙第一三、第一四号証、証人方利俊の証言及び原告本人尋問の結果によると、方利俊は、原告の弟であり、大正一四年一〇月二八日北朝鮮で出生した後、昭和一七年に来日し、戦後、原告が経営していた靴店の手伝いをした後、昭和二五年から新宿西口の市場内で飲食店を経営したが、右飲食店を開業するにあたっては、特段の資金を有していなかったこと、昭和三〇年には右飲食店を市場等の都合で廃業し、原告の経営するパチンコ、キャバレーの店の手伝いを行っていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、仮に方利俊が西武店を開業するに当たり、多額の自己資金を有していたものとすると、右資金は、昭和二五年から昭和三〇年までの五年間という比較的短期間に得られたことになり、以後昭和三五年までの五年間、右資金を特段運用することなく原告の店の手伝いをしていたこととなるが、これは、通常人の行動としては、はなはだ不自然なものといわざるを得ない。これと、方利俊が保証金一〇〇〇万円を差し入れたとする新宿企業は、前記1のとおり原告の経営するものであり、賃貸借契約書(前掲甲第一号証)の内容を、どのようにも作成することが可能であること、方利俊が遠藤建設に対し五〇〇万円ないし八〇〇万円を支払ったとする点についても、前記2(二)の事実によると、遠藤建設に対しては、原告が直接工事代金を支払った事実が窺われ、他方、方利俊が、何時、誰に対して右代金を支払ったのかを明らかにするに足る証拠はないことに照らすと、方利俊が昭和三五年に西武店を開業するにあたり保証金等として多額の自己資金を投入したという事実はこれを認めるに足りないものといわざるを得ない。

(2) 次に、方利俊が昭和四五年三信商事に西部店を四四〇〇万円で営業譲渡したとの点についても、原告の主張に沿う、昭和四五年三月二七日付、三信商事、方利俊、新宿企業間の方利俊が三信商事に対し譲渡代金四四〇〇万円で西部店を譲渡する旨の営業譲渡契約書(証人方利俊の証言により成立の認められる甲第三、第四号証)、昭和四六年三月一日付右三者間の三信商事が方利俊に対し代金二億五〇〇〇万円で王城店及び三信会館の営業権等を譲渡する旨の営業譲渡契約書(証人方利俊の証言により成立の認められる甲第五号証)、同日付で新宿企業と方利俊との間の王城店及び三信会館の建物賃貸借契約書(証人方利俊の証言により成立の認められる甲第六号証)、昭和五二年九月五日付新宿企業と大星商事との間の王城店及びピックペックビル(三信会館と同一所在地)の建物賃貸借契約書(証人方利俊の証言により成立の認められる甲第七、第八号証)が存し、また、方利俊の刑事公判廷における供述(前掲乙第一三、第一四号証)及び証人方利俊の証言並びに原告の刑事公判廷における供述(前掲乙第三号証)及び原告本人尋問の結果中には、原告の右主張に沿う部分がある。

しかしながら、右営業譲渡契約書(前掲甲第四号証)によると、三信商事は、方利俊に対して譲渡代金四四〇〇万円の内金三〇〇〇万円を支払い、残金一四〇〇万円は三信商事の借入金として処理し、右借入金について三信商事の資本金に組み入れることができることされているが、このように譲渡人が受けるべき譲渡代金の一部をもって譲渡人の資本に組み入れるとする契約条項は極めて不自然、不合理なものというべきである。しかも、前掲乙第三号証、第一四号証、成立に争いのない乙第四一号証、税務官署作成部分の成立につき争いがなく、証人岩崎守康の証言によりその余の部分の成立の認められる甲第五六号証、証人方利俊の証言によると、三信商事は新宿企業の所有する敷地上にパチンコ店を営んでいるが、同商事は原告が資本金三六〇〇万円及び増資資本金二〇〇〇万円の全額を出資して設立したものであって、原告が同商事を事実上、統括していること、一方、方利俊は右営業譲渡により何らかの利益が生じたのか否か全く不明であるとして、同人の昭和四五年分確定申告において、右営業意譲渡による利益については何ら計上していないこと、同人は、右営業譲渡に伴い、三信商事の従業員待遇の営業部長に就任したが、これにより同人の月収は従前の四〇万円程度から二〇万円と半減したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。また、右営業譲渡を行った理由について、方利俊は、同証人の証言において、西部店が開業後一〇年を経過し、内装を一新する必要が生じたこと、西部店の営業が低迷し、見通しが明るくなかったことをその理由として述べるが、一方において、後記のとおり、昭和四三年六月二八日金東淳が白夜店を三信商事に営業譲渡し、昭和四四年六月二〇日李昇鎬が王城店を三信商事に営業譲渡した理由について、三信商事は収益のあるところとないところとバランスをとって全体として一括して営業していくということで右各営業譲渡がなされたものであるとも述べている。

以上のとおり、本件営業譲渡は、その譲渡契約自体、譲渡代金の一部を譲受人たる三信商事の資本金に組み入れることができるという不自然なものであるばかりでなく、右三信商事は、原告の統括する企業であり、方利俊は、右譲渡後、三信商事の営業部長に就任し、本件営業譲渡と相前後して三信商事に譲渡された王城店、白夜店についても営業収支の全体のバランスをとってその営業をみることになっており、更に、右営業譲渡により方利俊にはどのような経済的利益をもたらしたのか全く不明であることなどを総合勘案すれば、結局、右営業譲渡契約は、真に方利俊が自己の店舗を譲渡するためになされたものではなく、本来原告が経営する本件三店舗を三信商事に集中して一体として経営させ、方利俊は営業部長としてこれをみることとしたもの、すなわち、原告が自己の都合で、本件三店舗を原告と名目上法主体を異にする三信商事の経営下におくために、会計上の形式を整えたにすぎないものというべきである。

したがって、原告の主張するように、方利俊は同人の経営する西部店を三信商事に譲渡し、あるいはこれにより方利俊は差し入れた保証金等を回収したものであるということはできず、この点に関する原告の主張は理由がないものというべきである。

(一)  王城店(名義人李昇鎬)について

原告は、李昇鎬は、王城店を開業するに当たり、新宿企業と建物賃貸借契約を締結し、王城店を経営していたが、昭和四四年七月一四日、三信商事に営業譲渡したものであると主張する。

(1) そこで、まず、右建物賃貸借契約について検討するに、昭和三八年七月五日付で李昇鎬と新宿企業との間の保証金五〇〇〇万円とする建物賃貸借契約書(弁論の全趣旨により成立の認められる甲第九号証)が存し、李昇鎬の収税官史に対する質問てん末書及び検察官に対する供述調書(前掲乙第八ないし第一〇号証)には、李昇鎬は同和信用組合に勤務していたが、昭和三七年、同組合を退職後おにぎり屋を開業した、王城店を開業するに当たり、新宿企業に対し保証金として五〇〇〇万円、内装工事費として三〇〇〇万円の合計八〇〇〇万円を支出した、右八〇〇〇万円の資金は李東健から昭和三八年ころ借り受けたものである、李東健は大阪在住の実業家であったが、そのころ北朝鮮に帰国することとなり、その際右八〇〇〇万円を現金で預かったものであるが、借用証等の文書は作成せず、利息や返済期限の定めもない、李東健とはその後音信不通で、現住所も不明である旨の記述がなされている。

しかしながら、昭和三八年当時、八〇〇〇万円という多額の現金を特段の取引等もない相手方から、利息の定めや返済期限の定めもなく、また借用証等の文書の作成もせずに預り、相手方はその後音信不通で不明であるということは、経験則上通常起こり得ないことであるというべきであり、しかも成立に争いのない乙第五五号証によると、法務省入国管理局の出入国記録上、右供述にある李東健に該当する人物がわが国に出入国した記録はないことが認められ、右認定に反する証拠はない。これらの事情と、前記1のとおり、新宿企業は現告の経営する企業であり賃貸借契約書の内容をどのようにも作成することが可能であることを考え合わせると、李昇鎬が李東健から昭和三八年ころ八〇〇〇万円借り受け、これをもって王城店の開業資金に充てたとする前掲各証拠(甲第九号証及び乙第八ないし第一〇号証)の記載はこれを措信することができず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(2) 次に、李昇鎬は自己の経営する王城店を昭和四四年七月一四日、三信商事に営業譲渡したものであるとの原告の主張について検討する。

昭和四四年七月一日付で李昇鎬と三信商事間の営業譲渡契約書(弁論の全趣旨により原本の存在及び成立の認められる甲第一〇、第一一号証)が存し、同契約書には、王城店の営業譲渡代金を九六〇〇万円とし、右譲渡代金金額は三信商事の借入金として処理し、五〇〇〇万円を限度として三信商事の資本に組み入れることができるとの条項が記載されており、また、刑事公判廷における被告人(原告)の最終陳述説明資料添付の証拠物(10)(11)(成立に争いのない甲第七八号証)には、三信商事は李昇鎬からの右借入金九六〇〇万円全額を同社の資本に組み入れ、決裁されている趣旨の記載がある。

しかしながら、李昇鎬の受けるべき営業譲渡代金をもって譲受人である三信商事の資本金に組み入れるとする右契約自体、李昇鎬にとって一方的に不利益なものであって、通常の経済取引としては極めて不自然なものであるというべきである。しかも、右譲渡代金九六〇〇万円について検討するに、税務官署作成部分の成立について争いがなく、証人岩崎守康の証言によりその余の部分の成立の認められる甲第六〇、第六三、第六五、第六七号証によると、李昇鎬は、所得税の確定申告において昭和四一年分は七五九万円余、昭和四二年分は一〇三一万円余、昭和四三年分は三八二万円余の営業所得が生じたものとそれぞれ申告していたが、昭和四四年分については、右営業譲渡により一一七九万〇八九〇円の譲渡損が生じたものと申告していることが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実からすると、毎年多額の営業利益を上げていた王城店を一一七九万円余の多額の譲渡損を生じる金額で譲渡したこととなり、右譲渡代金額の定め自体合理性のないものというべきである。更に、前記7(一)(3)記載のとおり、三信商事は原告の統括する企業であって、ほぼ同時期に西部店、白夜店についても営業譲渡が行われていることをも考え合わせると、王城店について真実営業譲渡がなされたものということは到底できず、右営業譲渡契約もまた、単に会計上の形式を整えるためになされたにすぎないものというべきであって、これをもって、李昇鎬が王城店を経営していたことの証左であるとすることはできない。

よって、この点に関する原告の主張は理由がないものというべきである。

(三)  白夜店(名義人金東淳)について

原告は、金東淳は、白夜店を開業するに当たり、新宿企業と建物賃貸借契約を締結し、保証金三〇〇〇万円を差し入れ、白夜店を経営していたが、売り上げが低迷したため、昭和四三年六月二八日、五五〇〇万円で三信商事に営業譲渡し、自己の投下資本を回収したものであると主張する。

(1) そこで、まず、右建物賃貸借契約について検討するに、昭和三八年四月一日付で金と新宿企業との間で、保証金三〇〇〇万円とする建物賃貸借契約書(証人金東淳の証言により成立の認められる甲第一二号証)が存し、証人金東淳の証言、金東淳の刑事公判廷における供述(前掲乙第一一、第一二号証)、同人の収税官史に対する質問てん末書及び検察官に対する供述調書(成立に争いのない乙第二八、第二九号証)には、金東淳は昭和二七年から大韓民国大使館書記をしていたが、原告に紹介されて白夜店を経営することとして、新宿企業との間で右建物賃貸借契約を締結し、保証金三〇〇〇万円を出資した、右三〇〇〇万円の資金は内金七四〇万円は自己資金であり、内金一六〇〇万円は李奇南から借り受けたもの、内金一六〇万円はホステスをしていた妹から借り受けたもの、内金五〇〇万円は大韓民国大使館の外交官から借り受けたものである、このうち、自己資金七四〇万円の内訳は、父から譲り受けたもの七、八〇万円と残りは自分でブローカーとして稼いだものである、また、李奇南は韓国在住の貿易証であるが、昭和三八年ころ来日した際、一六〇〇万円を借り受けた、この際借用証等はとり交しておらず、利息や返済期限の定めはなかった、その後李奇南の住所や連絡先等は全く不明であり、返済を請求されたこともなかったが、昭和五二年ころ、金東淳が韓国を訪れた際、韓国内において李奇南と会い、右一六〇〇万円を返済した、現在もなお李奇南の住所や連絡先は不明である旨の記述がなされている。

しかしながら、右資金三〇〇〇万円の内、李奇南から借り受けたとする一六〇〇万円については、昭和三八年ころ一六〇〇万円もの多額の現金を利息や返済期も定めず、借用証をとり交すこともなく借り受けたということ自体、経験則上、極めて不自然なものというべきであり、また、右借り受けの相手方である李奇南は、韓国から一時的に来日した者で、従前金東淳との間に取引関係等はなく、金東淳は、昭和五二年ころ韓国へ行った際、李奇南にあって右金員を返済したが、金員の借受け当時から現在まで李奇南の住所や連絡先は一切不明であるということなども、極めて不自然、不合理であり、更に、前掲乙第五五号証によると、法務省出入国管理局の出入国記録上、本件の李奇南に該当する人物の出入国した記録はないことが認められ、右認定に反する証拠はないから、これらのことを考え合わせると、金東淳が李奇南から金員を借り受けたものとは、経験則上到底認めることができないものというべきである。また、妹から借りたとする一六〇万円についても、前掲の刑事記録(乙第一一、第一二、第二八、第二九号証)によると、金東淳は妹の住所地等は不明であるとしてこれを明らかにせず、大使館員から借りたとする五〇〇万円についても、同様に、政治上の理由から借りた相手方や借りた状況等を明らかにしないなど、右各供述自体極めて不自然かつ不明確なものといわざるを得ず、他に、金東淳が妹や大使館員から当時借り入れたことを窺わせる証拠はないから、右事実もまた、認めることができないものというべきである。更に、自己資金として有していたとする七四〇万円の入手方法についても、刑事記録(前掲乙第一一、第一二、第二九号証)上、金東淳の供述するところは極めて曖昧なものであるが、おおよそ、以下のとおりである。すなわち、金東淳(昭和四年一月二五日生)は、韓国で出生し、その後幼少のころ親と来日し、父親は山梨県で小作農を行っていた、金東淳は地元の高校を卒業後、理科大学に通学し、二年で中退後、すぐ昭和二五年から米軍に入隊して朝鮮戦争に出動し、一年後に除隊し、昭和二七年一二月から韓国大使館に勤務していた、この間に父親が持っていた現金七、八〇万円を父に無断で持ち出し、米軍除隊後、韓国大使館に勤務するまでの間に右七、八〇万円を元手として横須賀で米軍物資のブローカーを行い七四〇万円の現金をためた、大使館勤務後は給料は月額一万円であったが、右七四〇万円の現金は、その後昭和三八年ころまで、金融期間に預けることなく大使館の金庫ないし自宅に保管していたというものである。しかしながら、金東淳の父親が農地解放を受けたのは昭和二二年一二月であり、その後は、同人は農業と薪炭の切り出しを行っており、金東淳も高校卒業のころまで父親の仕事を手伝っていて、金東淳の兄と弟は双方病弱であったこと、父親が土地を売却したのは昭和三〇年一二月のことであること(以上の事実は、前掲乙第一一号証によりこれを認める。)に照らすと、金東淳が父親から現金を入手したとする昭和二六年以前に、父親が七、八〇万円の現金を有していたとは考え難く、まして、昭和二六、七年の一年余の間に右金員を元手に六百数十万円の現金を貯えたとか、その後給料月額一万円の大使館員となり、右現金は預金せずに約一〇年余手元に保管していたなどということは、経験則上、極めて不自然な事態であるというべきであるから、前掲各証拠(乙第一一、第一二、第二八、第二九号証)は、到底これを措信することができないものといわなければならず、他に金東淳が昭和三八年当時七四〇万円の自己資金を有していたと認めるに足りる証拠はない。

また、新宿企業との賃貸借契約書(前掲甲第一二号証)の記載内容についても、前記1のとおり、新宿企業は原告の経営する企業であり、右契約の内容をどのようにも作成することが可能であることに照らすと、右書面の記載のみをもって、金東淳が保証金を新宿企業に差し入れたと認めるに足りないものというべきである。

以上の次第で、金東淳が昭和三八年当時現金三〇〇〇万円を有しており、これをもって新宿企業に保証金として差し入れたものということは到底できないものといわなければならない。

(2) 次に、営業譲渡契約について検討するに、昭和四三年六月二八日付で金東淳が三信商事に対し譲渡代金五五〇〇万円で白夜の営業権を譲渡する旨の営業譲渡契約書(証人金東淳の証言により原本の存在及び成立の認められる甲第一三、第一四号証)が存し、右書面には、右代金中同日三〇〇万円を支払った旨、残代金五二〇〇万円は三信商事の借入金として処理し、この内四二〇〇万円を限度として三信商事の都合により三信商事の資本金に組み入れることができる旨の記載がある。また、刑事公判廷被告人(原告)最終陳述説明資料添付の証拠物(6)ないし(9)(前掲甲第七八号証)には、昭和五一年九月三〇日付で残金五一八七万二六八六円を受領した旨の金東淳の三信商事に対する領収証、同日付で三信商事の金融機関に対する払戻請求書の写し、残額一二万七三一四円は三信商事の金東淳に対する仮払金して処理されていることを記載した三信商事の帳簿が存し、証人金東淳の証言中、原告本人尋問の結果中にもこれに沿う部分が存する。

しかしながら、金東淳の受けるべき営業譲渡代金をもって譲受人である三信商事の都合でこの大部分を同社の資本金に組み入れることができるとする右契約自体、金東淳にとって一方的に不利益なものであって、通常の経済取引としては極めて不自然なものであるというべきであり、また前記7(一)(3)記載のとおり、三信商事は原告の統括する企業であって、ほぼ同時期に西部店、王城店についても営業譲渡が行われていることをも考え合わせると、白夜店についてされた本件営業譲渡契約もまた、真実なされたものではなく、単に会計上形式を整えるためになされたにすぎないものというべきである。

よって、この点に関する原告の主張は理由がないものというべきである。

以上の次第で、本件三店舗についての原告の主張はいずれも理由がないものといわなければならない。

三  原告の昭和三九年分事業所得金額について

1  収入金額

(一)  売上金額

(1) 売上金額の算定方法

<1> 前掲乙第四、第五号証、第一七号証、第一九号証、第三一号証の一、七、第三二号証、成立に争いのない乙第二二号証の一、二証人竹下文男、同野見山雅雄の各証言によると、以下の事実が認められる。本件各係争年分の各店舗の売上金は、この内から現金払の経費に充てるための小口現金を除いて、毎日、本店と呼ばれる歌舞伎町スマートボール店二階の事務室に集められたうえ、預金されていた。原告は、右売上金のうち、中央ビル店のキャバレー「メトロ」及び喫茶「西武」並びに本件三店舗の小口払経費の支払のために預金しなかったものについては、右各店舗に小口現金出納簿を備え付けて記帳していたが、それ以外の売上金については、原告の妻が昭和四〇年二月及び三月の全店舗の売上金額を大学ノートに記帳したものが存するだけで、特に売上金額を記帳すべき売上帳簿等は備え付けていなかった。また、各店舗においてそれぞれの売上金を本店に送金する際に、売上集計表をこれに添付していたが、原告の妻は、右売上集計表は翌日すべてこれを破棄していたため、右集計表のうち、昭和四〇年一二月一七日のパチンコ「メトロ」を除く各店舗のもの、同月二〇日から二三日までの全店舗のもの、同月二四日から三一日までのパチンコ「メトロ」のもの以外は現存していない。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、本件各係争年分の売上金のうち、小口現金出納簿に記帳されたもの並びに昭和四〇年分のうちの一部の期間及び店舗を除いては、これを直接認定できる帳簿又は書類は存在しないので、推計により売上金額を算定する必要があるというべきである。

<2> 被告は、各店舗の売上金が預け入れられた預金口座の入金額及び小口現金出納簿の入金額をもって売上金額を推計すべきであると主張する。

そこで、被告主張の右推計方法の合理性について検討するに、本件各係争年度分の各店舗の売上金が小口現金出納簿に記帳された入金額を除いて、本店の事務室に集められたうえ預金されていたことは、右<1>認定のとおりであり、また、右預金の方法は、各店舗分ごとに区分したうえ、原告名義を含む多数の仮名預金口座等に毎日入金されており、各店舗別の各預金口座の設定及び入金期間が別表一、二記載のとおりであることは前記二3認定のとおりであること、更に、各店舗の仕入及び経費の支払が右各預金口座からの払戻金によりなされていることは前記二4認定のとおりであること、これに加え、別表一、二の各預金口座に各店舗の売上金以外の金員が入金されたと認められる証拠は存しないことを総合すれば、被告主張の右推計方法は、合理性があるものというべきである。

(2) 売上金額について

原告名義店舗分の売上金額が一億三七〇〇万四九〇六円であることは、当事者間に争いがない。

次に、本件三店舗分の売上金額については、前掲乙第三一号証の一ないし七によれば、右各店舗の売上金を入金したと認められる別表一記載の各預金口座への入金額及び右各店舗の小口現金出納簿の入金額とを合計すると、別表三の「原告名義店以外分」欄記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、本件三店舗分の売上金合計額は二億九〇六四万二二九五円となり、これに右原告名義店舗分の売上金額とを合わせると、昭和三九年分の売上金額は合計四億二七六四万七二〇一円となる。

(二)  雑収入金額について

成立に争いのない乙第三七号証によると、原告がジュークボックス払戻金、開店祝儀等として収受していた雑収入金額は、西武店分が一万五〇二〇円、白夜店分が一〇〇〇円、王城店分が八万四五〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、雑収入金額が合計一〇万〇五二〇円となる。

以上の次第で、収入金額は合計四億二七七四万七七二一円となる。

2  必要経費

(一)  たな卸金額

(1) 期首たな卸金額

<1> 原告名義店舗

新宿二丁目スマートボール店の期首たな卸金額が一三万四四二八円であることは、当事者間に争いがない。

また、前掲乙第二一号証によると、その他の原告名義店舗は本件事業年度の途中から原告が営業を開始した店舗であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そこで、その他の店舗については、期首たな卸金額は存在しないこととなる。

<2> 西武店

(ア) 証人野見山雅雄の証言によると、西武店については、在庫帳等商品のたな卸に関する原始記録が存在していなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、推計により西武店のたな卸金額を算定する必要があるというべきである。

(イ) 被告は、王城店の昭和三九年期末たな卸金額に、王城店の昭和三九年一二月の売上金額に対する西部店の同月の売上金額の割合を乗じた金額をもって、同店の期末たな卸金額とし、期首たな卸金額もこれと同額であるとして推計するものである。

そこで、被告主張の右推計方法の合理性について検討するに、王城店と西武店は、いずれも原告の経営に係るバー・喫茶店であって、業種及び営業形態を同じくするものであることは前記のとおりであり、このことから右両店舗の在庫の回転率はほぼ同様であって、在庫高は売上高の割合に比例するものであることが推認され、また、経験則上、同一期間内に特段の営業形態の変化や在庫整理が行われない限り、在庫高は、右期間を通じて変化のないものとみることができるところ、西武店においてこれらの特段の事情が存すると認めるべき証拠はないので、被告主張の右推計方法は合理性があるものというべきである。

(ウ) 成立に争いのない乙第三九号証によると、王城店の昭和三九年一二月末の商品出納兼在庫帳による同年度期末たな卸金額は一七七万七四五五円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。また、王城店の昭和三九年一二月の売上金額が一七二〇万〇〇二〇円であり、西武店のそれが七五四万九五六〇円であることは、前記1(一)のとおりである。

右各金額を右(イ)の推計方法にあてはめて計算すると、西武店の同期首たな卸金額は、七八万〇一二五円となる。

<3> 白夜店

(ア) 前掲乙第三九号証によると、白夜店においては、昭和四〇年一〇月末の商品及び在庫帳以外に、たな卸に関する原始記録は存在していなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、推計により白夜店の昭和三九年期首のたな卸金額を算定する必要があるというべきである。

(イ) 被告は、同店の昭和四〇年一〇月末のたな卸金額をもって、同店の昭和三九年期首たな卸金額もこれと同額であるとして推計するものである。

そこで、被告主張の右推計方法の合理性について検討するに、前記のとおり、経験則上、当該期間内に特段の営業形態の変化や在庫整理が行われない限り、在庫高は、右期間を通じて変化のないものとみることができるところ、白夜店において、昭和三九年期首から昭和四〇年一〇月末までの間においてこれらの特段の事情が存すると認めるべき証拠はないので、被告主張の右推計方法は合理性があるものというべきである。

(ウ) 前掲乙第三九号証によると、白夜店の商品出納兼在庫帳による昭和四〇年一〇月末のたな卸金額は四三万七六九九円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、同店の昭和三九年期首たな卸金額は、四三万七六九九円となる。

<4> 王城店は、昭和三九年中に開業したことは前記のとおりであり、同年度期首たな卸金額は存在しない。

そこで、昭和三九年期首たな卸金額は、合計一三五万二二五二円となる。

(2) 期末たな卸金額

<1> 原告名義店舗

原告名義店舗の期末たな卸金額が合計一七七万七四五五円となることは、当事者間に争いがない。

<2> 西武店

西武店においては商品たな卸に関する原始記録が存在しておらず、推計によりこれを算定する必要性があること、被告のした王城店の昭和三九年度期末たな卸金額に、王城店の昭和三九年一二月の売上金額に対する西武店の同月の売上金額の割合を乗じた金額をもって、同店の期末たな卸金額であるとして推計する方法が合理性を有すること、王城店の昭和三九年一二月末のたな卸金額が一七七万七四五五円であり、同店の同年一二月の売上金額が一七二〇万〇〇二〇円、西部店のそれが七五四万九五六〇円であることは、前記(1)<2>のとおりである。

そこで、西武店の昭和三九年期末たな卸金額は七八万〇一二五円となる。

<3> 王城店

王城店の昭和三九年期末たな卸金額が一七七万七四五五円であることは、前記(1)<2>のとおりである。

<4> 白夜店

白夜店においては昭和四〇年一〇月末のもの以外にたな卸に関する原始記録が存在しないため、推計により同店の昭和三九年期末たな卸金額を算定する必要があること、被告のした同店の昭和四〇年一〇月末のたな卸金額をもって、同店の昭和三九年期末たな卸金額とする推計方法に合理性があること、同店の昭和四〇年一〇月末のたな卸金額が四三万七六九九円であることは前記(1)<3>のとおりである。

そこで、同店の昭和三九年期末たな卸金額は、四三万七六九九円となる。

<5> 右によると、昭和三九年期末たな卸金額は、合計六七一万六七七九円となる。

(二)  仕入金額、給料手当ないし雑費

前掲乙第四ないし第六号証、第一三、第一四号証、第一七号証、第一九号証、第二四号証、第三一号証の一ないし七、第三二号証、第四六号証、成立に争いのない乙第三一号証の一一、証人竹下文男及び同野見山雅雄の各証言によると、以下の事実が認められる。原告は、各店舗の仕入代金等必要経費の支払については、小口現金出納簿以外、記帳すべき帳簿類を備えておらず、小口現金払い以外の仕入代金等の経費については、各店舗ごとに支払金額を従業員が計算し、売上金を預け入れていた預金口座から払戻しを受けて、毎月一定の支払日に支払っていた。しかしながら、その領収証や請求書等は断片的にしか保存されていなかった(右各事実は当事者間に争いがない。)。また、店舗別に売上金を預け入れていた預金口座からの支払方法についても、当該店舗の売上金を預け入れていた預金口座から当該店舗の仕入代金等経費を支払っていたわけではなく、一部店舗間で流用されるなどしていた。このため、帳簿や領収書類等から直接原告の経費を算出することはできず、また、預金の払戻額をもって各店舗の必要経費の額を算出することも不可能であった。そこで、被告は、断片的に残されていた仕入及び経費の支払明細表、請求書等を手がかりとして取引先の反面調査を行い、仕入等経費の確定を行った。これにより判明した昭和三九年分の事業所得の必要経費の各科目別の内訳は、別表四の(1)ないし(14)欄記載のとおりとなる。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、原告の仕入金額、給料手当ないし雑費(別表四の(1)ないし(14))の合計額は二億二八七八万七六八〇円となる。

(三)  小口払経費

中央ビル店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」に係る小口現金出納簿を通じて支出されていた経費が一〇九万八九九〇円であることは、当事者間に争いがない。

次に、前掲乙第三一号証の一、一一によると、西武店の小口現金出納簿を通じて支出されていた経費は一七八万三三三〇円、白夜店のそれは三一二万三九八三円及び王城店のそれは四三〇万九五四三円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、原告の小口払経費の合計額は一〇三一万五八四六円となる。

右(二)の仕入金額、給料手当ないし雑費と(三)の小口払経費の額とを合計すると、二億三九一〇万三五二六円となり、月別、各店舗別の内訳は、別表五のとおりとなる。

(四)  費用区分のできない必要経費

(1) 算定方法

被告は、原告の必要経費の金額を確定するにあたり、右(二)、(三)の原告の取引先等の調査及び小口現金出納簿の記載のみによる方法では、取引先の把握の困難性にかんがみても、右金額の確定には不充分であるとして、更に、原告の預金口座からの払戻額を基に経費の金額を推計すべきであると主張する。

すなわち、被告の主張する推計方法は、原告の預金口座からの総支払資金額から、必要経費に該当しない支払金額を控除し、支払資金額以外の必要経費に該当する借入金の天引利息を加算し、更に期首、期末の調整を行うことによりなすものである。

被告主張の右必要経費の推計方法を検討するに、これは、原告預金口座からの総支払金額のうち必要経費に該当しない支払金額を除いた金額は、費用区分は不明であるが必要経費に該当するとするものであって合理性があり、かつ、原告の所得を過大に認定するおそれが少ないことからも原告に有利な算定方法であるということができる。

次に、被告は、原告の預金口座からの払戻額のうち、原告の事業の必要経費以外の支払に充当されたものと推認され、かつ、原告自ら使途を明らかにし得なかったものを必要経費に該当しない、いわゆる店主勘定に当たる支出額として算定すべきであると主張する。

そこで、検討するに、本件のように、取引先等の調査や帳簿書類等の記載によっては明らかでない支出について、これを経費と推認する算定方法においては、費用区分の明らかな必要経費以外にどのような費目の経費が支出されたのかは明らかでなく、これを争う原告において、その具体的内容等を一切明らかにしない場合において、右の預金の支出状況やその支払先について経費以外に使われたことを窺わせる状況があるときは、これを経費以外に支出されたものとして算定するという被告の右算定方法には合理性があるものというべきである。

そこで、以下、被告主張の右方法により、必要経費の額を算出することとする。

(2) 総支払資金額(別表六の(1)欄)

前掲乙第三一号証の一、一一、成立に争いのない乙第三一号証の八によると、昭和三九年中に各店舗の売上金が預け入れられた預金及びその預金からの振替え等により別に設定された各預金(普通預金、定期積金、通知預金及び定期預金等)からの払戻総額は六億六五七三万〇一九三円であり、小口払経費等として支出された現金は一一〇六万一七九六円(小口現金払出額一〇三三万五八四六円と前年分売上金の期首現金払出額七二万五九五〇円との合計額である。)であり、昭和三九年中に預金されなかった収入金額は四四万八五五九円(不動産収入額一五四万五〇〇〇円のうち預け入れられた額一一七万円との差額三七万五〇〇〇円と、配当収入金額七万七四三〇円から配当収入源泉所得税額三八七一円を控除した額七万三五五九円との合計額である。)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、原告の昭和三九年の総支払資金額は合計六億七七二四万〇五四八円となる。

(3) 仕入及び経費と認められない支出金額(別表六の(2)欄)

<1> 固定資産取得代金支払額

前掲乙第三一号証の一、一一、成立に争いのない乙第三一号証の一二によると、原告の昭和三九年分の固定資産取得代金支払額は一億五八三七万九六〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<2> 定期預金預入れ及び借入金返済額等

前掲乙第三一号証の一、八、一一によると、原告の昭和三九年分の定期預金預け入れ及び借入金返済額等は、一億五一四八万八五三一円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<3> 普通預金預入れ額等

前掲乙第三一号証の一、八、一一によると、預金の払出額のうち他店舗系統の普通預金に振替入金された金額は一九七七万一二五五円、新規普通預金へ振替えた金額は一〇三四万一三一六円、その他のもの七二二万〇七七〇円の合計三七三三万三三四一円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<4> 異常多額な預金払戻額

異常多額な預金払戻額は、原告の預金口座からの払戻額のうち、原告の事業の必要経費以外の支払に充てられたものと断定できず、かつ、原告から使途を明らかにし得なかったとして、必要経費に該当しない、いわゆる店主勘定に当たる支出であると被告の主張するものである。

(ア) 昭和三九年二月二一日の出金額四〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の一二、成立に争いのない乙第五〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和三九年一二月二一日、同和信用組合新宿支店谷口明(仮名)名義の普通預金口座(口座番号二三四一番)から六〇〇万円が払い戻された。同日、王城店の固定資産取得代金として常富工業所に一五〇万円、佐山製作所に五〇万円の合計二〇〇万円が支払われている。この取得代金の資金が右六〇〇万円の払戻金の内から支払われたものとすると、残額四〇〇万円の支払先が検討されなければならないので、被告は、取引先等を調査すると共に、原告に右金員の支出先について質問したが、原告は忘れた等といって、その支出先を明らかにしなかった。ところで、各店舗の経費は一定の日に支払われるため、毎月一定の日に預金口座から端数のある金額が払い戻されている。右預金口座も西武店の売上金が入金されているものであるが、右六〇〇万円の払戻日である二月二一日に近接する同月二五日及び二九日には端数のついた払戻金がある。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、右払戻金六〇〇万円の内金四〇〇万円については、支出先が不明であるが、右払戻金額は多額でかつ端数のつかないラウンドナンバーであること、右払戻日に近接する日に通常の経費の支払のための払戻しがなされていることを考え合わせれば、右払戻金四〇〇万円は経費の支払に充てられたものではないものというべきである。

(イ) 昭和三九年五月六日の出金額三九〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、成立に争いのない乙第四九号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和三九年五月六日大同信用金庫本店八木武(仮名)名義の普通預金口座(口座番号五五五九番)から三九〇万円が払い戻された。右預金口座は同年四月二〇日まで王城店の売上金が入金されていたものであるが、同日以降王城店の売上金が入金されていた預金口座である三井銀行新宿支店瀬浪三郎(仮名)名義の普通預金口座(口座番号う六〇九四番)からは、同年五月分の経費の支出のためと認められる端数のある払戻金がある。また、原告が出資する三洋商事株式会社がそのころ、新宿ステーションビルに入居するに当たり、入居保証金二四九万六〇〇〇円及び敷金一二六万四〇〇〇円、合計三七六万円を支払っているが、右出資金の元となった資金源は判明しなかった。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、右払戻金三九〇万円については支出先が不明であるが、右払戻金額は多額でかつ端数のつかないラウンドナンバーであること、他に同月分の通常の経費の支払のための払戻しもなされていること、右払戻金が、原告の出資する他の会社のために使われた疑いもないわけではないことを考え合わせれば、右払戻金三九〇万円は、経費の支払に充てられたものではないというべきである。

(ウ) 昭和三九年八月五日の出金額六〇〇万円及び三〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、第四一号証、第四九、第五〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和三九年八月五日、大同信用金庫本店峰洋子(仮名)名義の普通預金口座(口座番号三七五六番)から六〇〇万円及び同和信用組合新宿支店石丸忠(仮名)名義の普通預金口座(口座番号二三四番)から三〇〇万円がそれぞれ払い戻されている。前者の預金口座は白夜店の売上金が、後者のそれは西武店の売上金が、それぞれ預け入れられていたものであるが、各預金口座とも、同年八月分の経費の支払と認められる端数のある払戻しが別になされている。また、原告は、三洋商事の増資資金として、同年八月に一五〇万円、同年一〇月に六〇〇万円、合計七五〇万円を払い込んであり、右払込金の資金源としては預金からの払戻金であるとしながら、どの預金口座からのものであるか明らかにしなかった。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、右各払戻金六〇〇万円及び三〇〇万円の合計九〇〇万円については支払先が不明であるが、右払戻金額は多額でかつ端数のつかないラウンドナンバーであること、他に同月分の通常の経費の支払のための払戻しがなされていること、右各払戻金が、原告の関係する会社の増資資金として使われた疑いもないわけではないことを考え合わせれば、右各払戻金六〇〇万円及び三〇〇万円、合計九〇〇万円は、経費の支払に充てられたものではないというべきである。

(エ) 昭和三九年一二月一〇日の出金額一〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、一二、第四一号証、第四九、第五〇号証、成立に争いののない乙第三八号証の三、第四七号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和三九年一二月二〇日、同和信用組合新宿支店江原芳夫(仮名)名義の普通預金口座(口座番号一三〇番)から八〇〇万円、大同信用金庫本店戸村浩(仮名)名義の普通預金口座(口座番号八三〇二番)から三〇〇万円がそれぞれ払い戻されている。前者の預金口座は西武店の売上金が、後者のそれはスマートボール店の売上金がそれぞれ預け入れられていたものであるが、各預金口座とも、同年一二月分の経費の支払と認められる端数のある払戻しが別になされている。また、原告は、同日、常富工業所に対し、中央ビル店の附属設備工事代金として一〇〇万円を支払い、また、原告は、同日、原告が実質的に経営し、出資している三信商事株式会社の増資資金として平和相互銀行新宿支店新宿企業株式会社名義の別段預金口座に一〇〇〇万円を預け入れた。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、右各払戻金八〇〇万円及び三〇〇万円の合計一一〇〇万円は、同日になされた常富工業所に対する一〇〇万円及び三信商事の増資資金一〇〇〇万円、合計一一〇〇万円の各支払に充てられたものというべきであるところ、この内常富工業所に対する支払は、固定資産取得代金支払額((3)<1>の内)として計上済みであるので、残金一〇〇〇万円については、経費以外の支出に充てられた払戻額となる。

そこで、右(ア)ないし(エ)の仕入及び経費と認められない預金払出額は、合計二六九〇万円となる。

これに対し、原告は、右(ア)ないし(エ)の払出額は、いずれも仕入代金の支払や、昭和三九年一一月に開店予定であったキャバレー「メトロ」のホステス引抜きのための費用(バーンス)として支払ったものであると主張し、原告本人尋問の結果中及び刑事公判廷における被告人本人尋問調書及びそれに添付された被告人の陳述書(前掲乙第二二号証の一、二)中に原告の右主張に沿う部分がある。

しかしながら、原告の右主張自体、具体的な支払の費目、金額等を特定するに足るものでないばかりでなく、前記の各証拠を含め、これらの払出額が具体的にどのような経費に充てられたのかを裏付けるに足る証拠はないのであるから、原告の右主張は理由がなく、採用できない。

また、原告は、本件事業年度の事業所得の売上金額に占める割合(純利益率)を算出すると、本件事業年度は、昭和四一年分以降に比べ異常に高くなっており、このことは、「異常多額な預金払出額」が実際には経費として支出されていたにもかかわらず、被告がこれを経費として認定しなかったことによるものであると主張する。

しかしながら、原告の指摘する本件事業年度の純利益率は、それ自体として異常な数値を示しているものではなく、また、原告が比較の対象としている昭和四一年以降の純利益率についてみると、原告主張の別表一八記載の数値自体、純利益率はマイナス二六・六二パーセントから一六・八九パーセントまで大きな格差が生じており、これらの原告主張の純利益率の格差が生じた理由について合理的な説明のなされていない本件においては、原告主張の純利益率と比較すること自体意味のないものというべきであり、原告の右主張は理由がない。

<5> 異常多額な預金預入額

設立に争いのない乙第三八号証の一、二、第四八号証によると、以下の事実が認められる。昭和三九年一〇月二六日、三井銀行新宿支店植木三郎名義の二口の定期預金口座(口座番号普三-五八八、五八九番)に各五〇〇万円、合計一〇〇〇万円の入金があった。右各預金口座は原告の仮名の預金口座であるところ、被告担当者は右入金の経緯について調査を行ったが、右経緯は判明しなかった。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、不明入金として右預入額一〇〇〇万円を仕入及び経費と認められない支出金額の内から控除すべきである。

<6> 生活費

前掲甲第三八号証の一、二によると、以下の事実が認められる。原告は、各店舗の売上金を預金する際に、予め生活費として月三〇万円程度使用していた。被告としては、原告の使用した額が確定できなかったので、これを売上金に計上せず、一旦預金された中から、原告の生活費として月三〇万円宛、年合計三六〇万円が支出されたものとして算出した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、原告の生活費として三六〇万円を計上することができるものというべきである。

以上の<1>ないし<4>及び<6>の金額から<5>の金額を控除すると、仕入及び経費と認められない支出金額は合計三億六七七〇万一四七二円となる。

(4) 事業所得の必要経費と認められない支出金額(別表六の(3)欄)

前掲乙第三一号証の一一及び第三八号証の二によると、原告が昭和三九年中に支払った店主勘定に当たる公租公課の合計額は二九二万六〇三〇円、不動産所得の経費として算定される固定資産税額は九〇四〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、事業所得の必要経費と認められない支出金額は合計二九三万五〇七〇円となる。

(5) 仕入及び経費支出額に加算すべきもの(別表六の(5)欄)

前掲乙第三一号証の一一によると、借入金天引支払利息は九六万一五〇〇円、期首前払費用は五七〇〇円、期末買掛金は二七一四万〇九一五円、期末未払費用は九六二万一六六一円、共新商事株式会社からの商品品引継額は七一万一〇五二円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、仕入及び経費支出額に加算すべき金額は合計三八四四万〇八二八円となる。

(6) 仕入及び経費支出額から減算すべきもの(別表六の(6)欄)

前掲乙第三一号証の一一によると、期首買掛金は四四一万一二〇八円、期首未払費用は一六二万七五五五円、期末未経過利息は七五万六〇〇〇円、共新商事株式会社から引き継いだ買掛金は一七五万二七八六円、同社から引き継いだ未払費用は二〇九万五七三〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、仕入及び経費支出額から減算すべき金額は一〇六四万三二七九円となる。

(7) 期首未払金値引額

前掲乙第三一号証の一一、一二によると、白夜店の固定資産取得代金中、期首未払金の値引額三万九二九八円が存することが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、期首未払金値引額三万九二九八円は、仕入及び経費の額から減算すべきである。

(8) まとめ

以上のとおり、必要経費の額を算出すると、これは、右の(2)の金額から(3)及び(4)の金額を控除し、これに(5)の金額を加算し、(6)及び(7)の金額を控除した金額、すなわち、三億三四三六万二二五七円となる。

そこで、昭和三九年分の事業所得の必要経費の額の算定にあたっては、右三億三四三六万二二五七円から費用区分のできる必要経費額、すなわち前記(二)及び(三)の合計額二億三九一〇万三五二六円を控除した残額九五二五万八七三一円が費用区分のできない必要経費の額となる。

(五)  減価償却費

(1) 原告名義店舗

原告名義店舗の減価償却費が二二九万九九九四円であることは、当事者間に争いがない。

(2) 王城店及び白夜店

前掲乙第三一号証の一二、成立に争いのない乙第四〇号証及び証人野見山雅雄の証言並びに弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。原告は、固定資産について記帳していなかった。そこで被告は、原告の営業に係る建物、建物付属設備及び器具備品の取得価額について、各取引先に対する書面照会等を行ったところ、西武店については判明しなかったが、王城店及び白夜店については判明した。王城店及び白夜店の各建物、建物付属設備及び器具備品の取得価額を基に、法定償却方法である定額法を適用して減価償却費を算出すると、王城店は三九七万一二一四円、白夜店は二〇九万五七四六円となる。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 西武店

西武店については、右(2)のとおり、取引先等に係る書面照会等では建物等の取得価額が判明しなかったのであるから、推計により減価償却費を算定する必要性があるというべきである。

被告は、白夜店の昭和三九年分における減価償却費の売上金額に対する割合を、西武店の同年分の売上金額に乗じて得られた金額をもって、同店の減価償却費の額と推計すべきであると主張する。

そこで、被告主張の右推計方法の合理性について判断する。

前掲甲第1号証、第一二号証、乙第四〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。白夜店と西武店とはバー及び喫茶という業種、業態を同じくするものであるが、右両店を比較すると、白夜店は昭和三八年一二月に建物を取得して開業し、右建物の床面積は二七三坪であった。これに対し、西武店は昭和三五年二月に開業し、右建物の床面積は二一五坪であった。また、昭和三九年分の売上金額は白夜店よりも西武店の方が多い。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、白夜店及び西武店は業種及び業態を同じくし、店舗の床面積を比べてもほぼ同程度のものであるから、売上金に占める減価償却費の割合もほぼ同程度になるものということができるが、更に、各建物の取得価額を検討すると、白夜店の方が西武店よりも床面積が広く、かつ、建物の建築時期が新しいことが推認されるので、白夜店の方が西武店よりも多額であることが推認され、かつ、売上金額は白夜店の方が西武店よりも少ないのであるから、白夜店の売上金額に占める減価償却費の割合は、西武店よりもやや大きくなることが推認される。しかるに、被告の右推計方法は、右両店の減価償却費の売上金に占める割合は同一であることを前提として算出するもので合理性があり、かつ、原告にとっても有利な推計方法であるということができる。

そこで、右推計方法により西武店の減価償却費を算出すると、昭和三九年の西武店の売上金額が八六八一万〇七四〇円であり、白夜店の売上金額が五三九五万一八五六円であることは前記1(一)(2)のとおりであり、白夜店の減価償却費が二〇九万五七四六円であることは右(2)のとおりであるから、三三七万二一三七円となる。

(六)  まとめ

以上の次第で、必要経費は、期首たな卸金額一三五万二二五二円及び仕入金額一億四二八二万四〇〇一円から期末たな卸金額六七一万六七七九円を控除した売上原価一億三七四五万九四七四円に、給料手当ないし雑費の合計額八五九六万三六七九円及び小口払経費一〇三一万五八四六円、費目区分のできないもの九五二五万八七三一円並びに減価償却費一一七三万九〇九一円を加えた三億四〇七三万六八二一円となる。

そこで、原告の昭和三九年分事業所得金額は、八七〇一万〇九〇〇円となる。

四  原告の昭和四〇年分事業所得金額について

1  収入金額

(一)  売上金額

(1) 預金預入額等から算出した売上金額

<1> 昭和四〇年分の売上金のうち、小口現金出納簿に記帳されたもの並びに一部の期間及び店舗を除いては、これを直接認定できる帳簿又は書類は存在しないので、推計により売上金額を算定する必要があること、被告のした、各店舗の売上金が預け入れられた預金口座の入金額及び小口現金出納簿の入金額をもって売上金を推計する方法に合理性が認められることは、前記三―(一)(1)のとおりである。

<2> そこで、右推計方法により昭和四〇年分の売上金額を算出するに、前掲乙第三一号証の一ないし七によると、各店舗の売上金を入金したと認められる別表二記載の各預金口座への入金額及び右各店舗の小口現金出納簿の入金額の合計額並びに期末売掛金額の各店舗別、月別の金額は別表七記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、預金預入額等から算出した昭和四〇年分の売上金額は八億四四五二万五九五七円となる。

(2) 帳簿書類で確認された預金入金脱漏額

前掲乙第三一号証の一、七によると、以下の事実が認められる。各店舗において売上金を本店に送金する際に作成された売上集計表は、原告の妻が翌日これを破棄していたが、右集計表のうち昭和四〇年一二月一七日のパチンコ「メトロ」を除く各店舗のもの、同月二〇日から二三日までの全店舗のものは現存している。右期間の売上集計表に記載さた売上金額は、別表八の「売上額」欄記載のとおりであり、合計一三九六万〇三四三円となる。このうち右期間の各店舗別に預金された売上金額及び小口現金出納簿に入金額として記帳された売上金額は、同表の「預入額等」欄記載のとおりであり(ただし、同月一七日のパチンコ「メトロ」の売上金額三九万七八五〇円は便宜上省いてある。)、合計一〇三〇万五三三八円となる。右「売上額」欄記載の売上合計額との差額三六五万五〇〇五円が預入額から脱漏していることになるところ、原告の預金口座である同和信用組合新宿支店岩本幸正(仮名)名義の普通預金口座(口座番号四五四番)には、店舗区分の不可能な預入金が右期間に毎日四〇万円宛合計二〇〇万円あることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、昭和四〇年一二月一七日並びに同月二〇日から二三日までの期間においては、預け入れられなかった売上金の脱漏額は一六五万五〇〇五円となることは計数上明らかであり、右金額を売上金額として計上することとする。

(3) 推計による預金除外に係る売上金額

<1> 推計の必要性について

被告は、昭和四〇年八月以降、各店舗の売上金の一部が別表二記載の預金に預け入れられていないはずであり、右売上金のうち預入れ除外額を推計の方法により算定する必要性があると主張する。

そこで、以下、この点について検討する。

(ア) 前掲乙第三一号証の一ないし七によると、別表二記載のとおり、原告は昭和四〇年八月七日以降各店舗の売上金を入金する預金口座を仮名から各店舗の経営名義人の名義に変更し、同時に同和信用組合新宿支店に岩本幸正(仮名)名義の普通預金口座(口座番号四五四番)を設定し、また、同年一二月三〇日以降は同支店に三船実(仮名)名義の普通預金口座(口座番号五五五番)を設定して、店舗区分の不明な状態で売上金を預け入れるようになったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(イ) 前掲乙第三一号証の七によると、昭和四〇年八月分の売上金のうち同月一日から五日までの間に右各預金口座に預け入れられた額(預金入金日は八月二日から同月六日までの間)及び小口現金出納簿に入金額として記帳された額とを合計すると、一一四三万八二七三円となり、一方、八月六日から同月三一日までの間の売上金について、右と同様の方法で算出すると、合計四六七九万六六九三円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、一日当たりの売上金は、八月一日から同月五日までは平均二二八万七六五四円であるのに対し、同月六日から同月三一日までは平均一七九万九八七二円となり、売上高は一日当たり約二一パーセント減少したことになる。

(ウ) 次に、預金等により把握した売上金額が別表七のとおりとなることは、前記(1)<2>のとおりであるところ、これに基づいて売上金額を集計してみると、別表九のとおりとなる。同表の「売上金額合計」欄のうち一月ないし七月の合計金額五億〇九五五万一二二六円を基に、右期間の一日当たりの売上高を算出すると、平均二四〇万三五四三円であるのに対し、八月ないし一二月の合計金額三億三四〇九万九一六一円を基に、右期間の一日当たりの売上高を算出すると、平均二一八万九三七七円となり、売上高は一日当たり約九パーセント減少したことになる。

(エ) 更に、昭和四〇年一二月一七日及び同月二〇日から二三日までの間の売上集計表に記載された売上金額と、預金等により把握できる売上金額とを比較すると、別表八の「売上金額の預金脱漏額」欄記載のとおり、預金に入金されなかった売上金があることは前記(2)のとおりであるところ、この脱漏額を検討すると、一二月一七日は七万一八二五円(ただし、パチンコ「メトロ」の売上金額は除外して算出したものである。)、同月二〇日は二一万九八〇〇円、二一日は二五万六三一〇円、二二日は五七万一九七〇円、二三日は五三万五一〇〇円となり、全店舗分の売上集計表が判明している同月二〇日から二三日までの売上金の預金脱漏額は一日当たり三九万五七九五円となる。

以上の事実、すなわち、昭和四〇年八月において、特段の業種、業態の変化があると認められないにもかかわらず、同月七日になされた預金口座の名義の変更を境として、その前後で売上金額が二一パーセントも激減したこと、一月から七月までと、八月から一二月までのそれぞれの売上高を比較すると、八月以降九パーセント減少したこと、また、売上集計表により全店舗の売上金額が把握されている同年一二月二〇日から二三日までの間においては、一日当たり平均三九万五七九五円もの売上金の預金脱漏が存することを考え合わせると、原告は同年八月以降一二月まで売上金を一部除外して預金していたものというほかなく、同年八月ないし一二月の預金除外の売上金額について推計の方法により算定する必要性があるものというべきである。

これに対し、原告は、このような売上金の推計は必要性を欠くものであると主張し、その根拠として、別表七の「店舗区分不明分」六三六〇万円を含めて考えれば、八月は夏枯れで激減し、一二月には著しく売上げが伸びているという点はあるものの、全体としては三月から一一月まで売上金が減少していったとみることができる点をあげている。

しかしながら、原告が八月から一二月まで売上金の預金への預け入れ除外を行っていたことは、右認定事実により明らかなものというべきであって、原告の右主張は理由がないものというべきである。

なお、被告は、原告の八月から一二月までの売上除外の事実は、一月から七月までの仕入及び経費の額よりも八月から一二月までの経費の額の方が多いにもかかわらず、売上金が減少していることは不自然であること、また、同年八月から一二月までの差益率が一月から七月までの差益率が一〇パーセント以上も低率であることからも明らかであると主張する。

しかしながら、本件においては、売上金額のみならず、仕入及び経費の額についても争いがあり、仕入及び経費の額のうち反面調査により把握できたものは一部にすぎず、この他は、預金からの払出額等に基づく推計方法により算出されたものであることに照らすと、右経費の額を基準とする経費率や差益率を基に売上金額を推計する必要性を理由付けることは不適切であるというべきであるので、この点についての被告の主張は理由がない。

<2> 推計の合理性について

被告は、中央ビル店のキャバレー・喫茶を除く、その余の店舗については、一月から七月までの一か月平均の売上金額に基づいて、八月から一二月までの売上金額を算定すべきであると主張する。

右の推計方法の合理性について検討するに、昭和四〇年の一月から七月までの間と、八月から一二月までの間において特段の業種、業態の変更や経済情勢の変化があったことを窺わせる証拠がない本件においては、一月から七月までの一か月平均の売上金額が八月以降も平均して得られたものと推認することには合理性があるものというべきである(なお、中央ビル店のキャバレー・喫茶については、一月から七月までの一か月平均の売上金額は一九〇一万五九八二円であるのに対し、八月から一二月までの一か月平均の売上金額は二〇六〇万六六五七円であり、売上除外の事実は認められないので、売上金額の計算上、被告主張のとおり、推計の対象としないことが妥当である。)。

これに対し、原告は、バー、喫茶、パチンコ等の業種は、近隣に同種店舗が開設されれば、たちまち売上げは低減し、更に、景気変動、季節、天候等によっても、売上げは大きく増減するのであり、加えてパチンコ、スマートボール店の経営はブームの消長に強く左右されるという特殊な事情もあるので、右のような単純な推計方法には合理性がないと主張する。

しかしながら、原告の右特殊事情についての主張は、抽象的な可能性を述べるにとどまり、本件において、昭和四〇年一月から七月までの間と八月から一二月までの間を比較して、具体的にこのような特殊事情が発生したと主張するものではなく、また右期間においてこのような特殊事情が発生したと認めるに足る証拠もないのであるから、原告の右主張は理由がないというべきである。

<3> 右推計方法による売上脱漏額

そこで、被告主張の右推計方法により、八月から一二月までの売上金額を算定すると、別表一一のとおりとなることは計数上明らかであり、これによると、八月から一二月までの売上脱漏額は合計三六一六万四三七三円となる。

以上の次第で、昭和四〇年分の売上金額は、右(1)ないし(3)記載の金額の合計額八億八二三四万五三三五円となる。

(二)  雑収入金額

中央ビル店のキャバレー「メトロ」、喫茶「西武」の公衆電話使用料収入が一万五四一〇円であることは、当事者間に争いがない。

また、前掲乙第三七号証によると、西武店のジュークボックス払戻金の合計額は三九五〇円、王城店のそれは二七万八五二〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、雑収入金額が合計二九万七八八〇円となる。

以上の次第で、収入金額は合計八億八二六四万三二一五円となる。

2  必要経費

(一)  たな卸金額

(1) 期首たな卸金額

昭和四〇年分の期首たな卸金額は、昭和三九年分期末たな卸金額と同額となるところ、前記三2(一)(2)によると、右額は六七一万六七七九円であるので、昭和四〇年分期首たな卸金額も六七一万六七七九円となる。

(2) 期末たな卸金額

<1> 原告名義店舗

原告名義店舗の昭和四〇年分期末たな卸金額が三七〇万五〇〇〇円であることは、当事者間に争いがない。

<2> 王城店

前掲乙第三九号証によると、王城店に保存されていた商品出納及び在庫表から、期末たな卸金額を算出すると、二〇一万六三九六円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<3> 西武店

西武店については、在庫帳等商品のたな卸に関する原始記録が存しないため、推計によりたな卸金額を算定する必要があること、王城店の昭和三九年期末たな卸金額を基に推計した西武店の昭和三九年期末たな卸金額が七八万〇一二五円となることは、前記三2(一)(2)<2>のとおりであるところ、西武店において昭和四〇年中に特段の営業形態の変化や在庫整理が行われたと認められる証拠はないのであるから、在庫高は右期間を通じて変化のないものとみることができる。

そこで、昭和四〇年期末たな卸金額は七八万〇一二五円となる。

<4> 白夜店

白夜店については、昭和四〇年一〇月末の商品及び在庫帳以外に、たな卸に関する原始記録は存しなかったため、推計により昭和四〇年期末たな卸金額を算定する必要があること、昭和四〇年一〇月末のたな卸金額が四三万七六九九円であることは、前記三2(一)(1)<3>のとおりであるところ、白夜店においても昭和四〇年一〇月末から同年末までの間に特段の営業形態の変化や在庫整理が行われたと認められる証拠はないのであるから、在庫高は右期間を通じて変化のないものとみることができる。

そこで、昭和四〇年期末たな卸金額は四三万七六九九円となる。

そうすると、昭和四〇年期末たな卸金額が合計六九三万九二二〇円となることは、計数上明らかである。

(二)  仕入金額、給料手当ないし雑費

原告は、各店舗の営業に係る必要経費についても、売上金の場合と同様、小口現金出納簿に記帳したものを除いては、その金額を帳簿を備え付けて継続的に記帳することをせず、また、帳簿書類の保存状況等についても、昭和三九年分と同様であって、帳簿等から仕入金額及びその他の経費を算定することができなかったことは、当事者間に争いがない。

次に、前掲乙第三一号証の一、一一、証人竹下文男の証言によると、以下の事実が認められる。被告は各取引先に対する書面照会等により、昭和四〇年分の事業所得の必要経費を把握した。これにより判明した必要経費の各科目別の内訳は、別表一二の(1)ないし(17)欄記載のとおりとなる。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば、原告の仕入金額、給料手当ないし雑費(別表一二の(1)ないし(17))の合計額が五億六四八四万六七一一円となることは、計数上明らかである。

(三)  小口払経費

中央ビル店の喫茶「西武」及びキャバレー「メトロ」の小口払経費が七五一万三七七五円であることは、当事者間に争いがない。

次に、前掲乙第三一号証の一、一一によると、西武店の小口現金出納簿に記帳さていた支出経費は一九一万九六四七円、白夜店のそれは八九万二〇〇一円及び王城店のそれは四五〇万二八六六円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、原告の小口払経費の合計額は一四八二万八二八九円となることが明らかである。

右(二)の仕入金額、給料手当ないし雑費と(三)の小口払経費の額とを合計すると、五億七九六七万五〇〇〇円となり、月別、各店舗別の内訳は別表一三のとおりとなる。

(四)  費用区分のできない必要経費

(1) 算定方法について

原告の必要経費の金額を確定するについては、被告は、取引先の把握の困難性に照らし、原告の預金口座からの払戻額を基に経費の金額を推計すべきであると主張するところ、被告の主張する、原告の預金口座からの総支払資金額から、必要経費に該当しない支払金額を控除し、支払資金以外の必要経費に該当する借入金の天引利息を加算し、更に、期首、期末の調整を行うことによりなす方法に合理性があることは、前記三2(四)(1)のとおりである。

そこで、以下、被告主張の右方法により、必要経費の額を算出する。

(2) 総支払資金額(別表一四の(1)欄)

前掲乙第三一号証の一、八、一一によると、預金からの払戻額は一〇億九六九六万九四〇一円であり、小口払経費十として支出された現金は一八二九万〇七八四円(小口現金払出額一四八二万八二八九円と前年分売上金の期首現金払出額三四六万二四九五円との合計額である。)であり、昭和四〇年中に預金されなかった収入金額は六万三六二三円(配当収入金額二万二八六三円、不動産収入金額四万円、貸金庫利子収入金額七六〇円の合計額である。)であることが認められ、右認定に反する証拠は認められない。

右の事実によれば、原告の昭和四〇年の総支払金額が合計一一億一五三二万三八〇八円となることは、計数上明らかである。

(3) 仕入及び経費と認められない支出金額(別表一四の(2)欄)

<1> 固定資産取得代金支払額

前掲乙第三一号証の一、一一、一二によると、原告の昭和四〇年分の固定資産取得代金支払額は三五二六万九七六五円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<2> 定期預金預入れ及び借入金返済額

前掲乙第三一号証の一、八、一一によると、定期預金預入れ及び借入金返済額は二億二二一七万七九九七円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

<3> 普通預金預入れ額等

前掲乙第三一号証の一、八、一一によると、預金の払出額のうち他店舗系統の普通預金に振替入金された金額は九三八万三〇三三円、新規普通預金へ振替入金された金額は二〇二四万五一四七円、その他のもの三一九九万四二九〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、普通預金預入額等が合計六一六二万二四七〇円となることは、計数上明らかである。

<4> 異常多額な預金払戻額

原告の預金口座からの払戻額うち、いわゆる店主勘定に当たる支出であると被告の主張するものである。

(ア) 昭和四〇年四月七日の出金額一五〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、第四九号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年四月七日、大同信用金庫本店戸村浩(仮名)名義の普通預金口座(口座番号八三〇二番)から五〇〇万円が、同店千秋香(仮名)名義の普通預金口座(口座番号八二九二番)から一〇〇〇万円が払い戻された。右各預金口座のうち前者はスマートボール店の売上金が、後者は白夜店の売上金が入金されていたものであり、前者の預金口座からは、そのころ、スマートボール店の経費の支払のためとみられる払戻しがなされているが、右払戻金一五〇〇万円の支出先等は不明である。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、被告は、右支出金は王城店の建築資金の一部に充てられた可能性がある旨を主張し、渡辺健司の収税官史に対する質問てん末書(前掲乙第三三号証)中には、これに沿う部分があるが、他方、同人の刑事公判廷における供述(前掲乙第六号証)において、右部分は根拠のない推測であるとも述べており、また、他に被告主張の右可能性を窺わせる証拠もないことを勘案すると、被告の右主張は採用できない。

右の事実によれば、右出金一五〇〇万円の支払先は不明であるが、右五〇〇万円と一〇〇〇万円の払戻額は、通常の経費の支出のためと認められる払戻しと比べ、多額でかつ端数のつかないラウンドナンバーであることから、経費以外の支出に充てられた疑いがあるところ、原告は右一五〇〇万円の支出先については何ら具体的な主張立証を行わないことをも勘案すれば、右出金額一五〇〇万円は経費の支出に充てられたものではないと推認するのが相当である。

(イ) 昭和四〇年六月三〇日の出金額二〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、第四八号証、成立に争いのない乙第四二ないし第四五号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年六月三〇日、三井銀行新宿支店の瀬浪三郎(仮名)名義の普通預金口座(口座番号う六〇九四番)から二一九二万七五二九円が解約払戻された。右預金口座は同月三日まで王城店の売上金が預け入れられていたものであり、右払戻金のうち一九二万七五二九円については、仕入及び経費として使用されたものである。残額二〇〇〇万円の支出先について検討すると、同日、同店の原告名義の手形貸付金四四〇〇万円のうち二〇〇〇万円が現金で返済されたが、同店の原告名義の預金口座から右二〇〇〇万円が払い戻された形跡はない。他方、同日、同和信用組合新宿支店において原告に対して三〇〇〇万円が貸し出され、このうち利息一六八万四八〇〇円を差し引いた二八三一万五二〇〇円が交付されたが、この内から同店の原告名義の定期預金一〇〇〇万円が設定され、残金は一八三一万五二〇〇円存する。更に、同日、同店においては山川英幸名義、林哲禹名義、川上信宏名義の定期預金口座が設定され、それぞれ八〇〇万円、五〇〇万円、七〇〇万円合計二〇〇〇万円が預け入れられたが、右各名義人はいずれも実在しない仮名のものであり、届出印鑑との照合などからして、これらは、いずれも原告の仮名預金口座である。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、同和信用組合新宿支店からの借入金三〇〇〇万円は、同日、同店において預金されたものであり、三井銀行新宿支店の解約払戻金のうち二〇〇〇万円をもって同店の手形貸付金の返済に充てられたものと推認するのが相当であるので、三井銀行新宿支店の解約払戻金のうち二〇〇〇万円は経費以外の支出に充てられたものであるというべきである。

(ウ) 昭和四〇年七月三一日の出金額一〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、六、第四二号証、第五〇号証、承認野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年七月三一日、同和信用組合新宿支店北原二郎(仮名)名義の普通預金口座(口座番号三三五番)から一〇〇〇万円が払い戻されている。他方、同日、同店池野良一名義の定期預金口座(口座番号二六五番)が設定され一〇〇〇万円が預け入れられたが、印鑑の照合から、右預金口座は原告の仮名のものであることが判明した。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、右出金額一〇〇〇万円は、同日、同行において定期預金として預け入れられたものであって、経費以外の支出に充てられたものというべきである。

(エ) 昭和四〇年八月九日の出金額二〇九六万六五一一円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、第四八ないし第五〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、昭和四〇年八月九日、<1>大同信用金庫本店瀬波利夫(仮名)名義の普通預金口座(口座番号一〇九六五番)から一〇一万円を払い戻し、<2>同店千秋香(仮名)名義の普通預金口座(口座番号八二九七番)を解約して六二八万八一四二円を払い戻し、<3>同和信用組合新宿支店清水忠行(仮名)名義の普通等金口座(口座番号四一九番)から七〇〇万円を払い戻し、<4>三井銀行新宿支店平林和夫(仮名)名義の普通等金口座(口座番号う九九六四番)を解約して六六六万八三六九円を払い戻した。右各預金口座は、いずれも同月六日まで原告の店舗の売上金を預け入れていたもの(<1>はスマートボール店、<2>は白夜店、<3>は西武店、<4>は王城店)であって、同月七日以降それぞれの店舗の経営名義人の普通預金口座が設定され、売上金が入金されるに至ったものである。しかも、<2>、<4>は預金口座の解約であり、<1>、<3>は、ほぼ全額の払戻しであるうえ、いずれも右払戻日の翌日である同月一〇日に各預金口座は解約され全額払い戻されている。また、同月のスマートボール店、白夜店、西武店、王城店の各経費の支払に充てられたとみられる預金の払戻しが、同月七日に設定された各店舗の名義人名の普通預金口座からなされている。なお、同月、原告の関係会社である新宿企業は、新宿区歌舞伎町一七番地に土地を取得したが、その取得価額が、その取得価額が時価と比べて非常に安いため、被告の査察官が調査を行ったが、売主が死亡したので、右売買価額についての事実関係は確認できなかった。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、右<1>ないし<4>の預金の払戻額は合計二〇九六万六五一一円となるところ、右金額は一日の払戻額としてはかなり多額であるうえ、右各預金口座はいずれも、原告の店舗の売上金が預け入れられていたものであるところ、原告は、八月七日をもって、右各預金口座を仮名のものから各店舗名義人名義のものに一斉に切り替えており、その直後になされた従前の預金口座の解約ないし解約直前の払戻しであることからすると、右払戻しは、原告の会計操作の一環としてなされたものともいうことができ、同月分の各店舗の経費の支出のためとみられる払戻しは、それぞれの各店舗名義人の預金口座からなされていること、同月、新宿企業が取得した土地の裏金として使用されたのではないかという疑いもあること、原告が右払戻金の支出先等について何ら具体的な説明をしていないことなどを考え合わせれば、右出金額二〇九六万六五一一円は経費の支出に充てられたものではないというべきである。

(オ) 昭和四〇年八月一一日の出金額六三六万三二二七円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、成立に争いのない乙第五三号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年八月一一日、同和信用組合新宿支店の志賀俊幸名義の通知預金口座(口座番号四八-一番)が解約されて四六五万八〇八六円が払い戻され、同店の同人名義の通知預金口座(口座番号四八-三番)が解約されて一七〇万五一四一円が払い戻された。同店の志賀俊幸名義の四口の通知預金口座(口座番号四八-一ないし四番)は、いずれも原告の仮名預金口座である。以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、右二口の預金の払戻額は六三六万三二二七円となり、支出先は不明であるが、右(エ)と同様、仮名預金口座から各店舗人名義人の預金口座に一斉に切り替えられた際の、一連の預金の解約払戻しの一環としてなされたものであるうえ、同月、新宿企業が取得した土地の裏金として使用されたのではないかという疑いもあること、更に原告が右解約払戻金の支出先等について何ら具体的な説明をしないことなどを考え合わせれば、右出金額六三六万三二二七円は経費の支出に充てられたものではないというべきである。

(カ) 昭和四〇年八月一二日の出金額一五〇四万五三六〇円について

前掲甲第一七号証、乙第五三号証、証人野見山雅雄の証言によると、昭和四〇年八月一二日、同和信用組合新宿支店の志賀俊幸(仮名)名義の通知預金口座(口座番号四八-四番)が解約され、一五〇四万五三六〇円が払い戻されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右出金額一五〇四万五三六〇円については、右(オ)と同様の理由から、経費の支出に充てられたものではないというべきである。

(キ) 昭和四〇年八月一七日の出金額一五九四万四八〇一円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の七、八、第五三号証、成立に争いのない乙第五二号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年八月一七日、<1>同和信用組合新宿支店志賀俊幸(仮名)名義の通知預金口座(口座番号四八-二番)が解約されて一一〇四万〇一四六円が払い戻され、<2>同店林田信夫(仮名)名義の定期積金(口座番号二三四一-一番)が解約されて二一三万五九九七円が払い戻され、<3>同店北原竜(仮名)名義の定期積金(口座番号二三四一-二番)が解約されて二七六万八六五八円が払い戻された。<2>の預金口座は同月五日まで、<3>の預金口座は同月七日までそれぞれスマートボール店の売上金が預け入れられていた。同月のスマートボール店の経費の支出のためとみられる払戻しは、店舗名義人である原告名義の普通預金口座からなされている。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、右三口の預金の払戻額は一五九四万四八〇一円となり、一日の払戻額としては多額であるうえ、右各解約払戻しについては(オ)と同様の事情があり、更に<2>、<3>の解約払戻しについては同月のスマートボール店の経費の支出のためとみられる払戻しは店舗名義人である原告の預金口座からなされていることをも考え合わせれば、右出金額一五九四万四八〇一円は経費の支出のために充てられたものではないというべきである。

(ク) 昭和四〇年八月二〇日の出金額一〇二九万八四四〇円について

前掲甲第一七号証、乙第四八号証、証人野見山雅雄の証言によると、昭和四〇年八月二〇日、三井銀行新宿支店植木三郎(仮名)名義の二口の定期預金口座(口座番号普三-五八八、五八九番)が解約されて各五一四万九二二〇円が払い戻されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右出金合計額一〇二九万八四四〇円については、右(オ)と同様の理由に加え、右各預金は昭和三九年一〇月二六日に設定されたものであるところ、右各預金の設定及び入金の経緯は不明で、売上金からの流れは確認されなかったことは前記三2(四)(3)<5>のとおりであることをも考え合わせれば、経費の支出に充てられたものではないというべきである。

(ケ) 昭和四〇年一一月二日の出金額二〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の七、八、第五〇号証によると以下の事実が認められる。昭和四〇年一一月二日、同和信用組合新宿支店北原二郎(仮名)名義の普通預金口座(口座番号三三五号)から二〇〇〇万円が払い戻された。右預金口座は同月一五日解約され、全額払い戻された。また、右預金口座は、同年七月五日までパチンコ「メトロ」の売上金が入金されていたものであるが、同年一一月のパチンコ「メトロ」の経費の支出に充てられたものとみられる払戻しは、原告名義の普通預金口座からなされている。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によると、右出金額は一日の払戻金としては多額であるばかりでなく、端数のつかないラウンドナンバーのものであること、同月のパチンコ「メトロ」の経費の支出のためになされたとみられる払戻しは、店舗名義人である原告の預金口座からなされていること、右払戻金の支出先は不明であるが、原告は右支出先について何ら具体的な説明をしていないことを考え合わせると、右出金額二〇〇〇万円は経費の支出のために充てられたものではないというべきである。

(コ) 昭和四〇年一一月二五日の出金額一〇一二万四七四〇円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、第四二号証、成立に争いのない乙第五一号証、証人野見山雅雄の証言によると、昭和四〇年一一月二五日、同和信用組合新宿支店方利俊名義の定期預金口座(口座番号九八九番)が解約され、一〇一二万四七四〇円が払い戻された。右預金口座は原告のものである。また、同日、同店において田中吾市名義の定期預金一〇〇〇万円が設定されたが、右預金口座は、印鑑との照合により、原告の仮名預金口座であることが判明した。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、右出金額一〇一二万四七四〇円は、多額の払戻しであるうえ、預金の解約によるものであること、更に、このうち一〇〇〇万円については同日、同店の定期預金として設定入金されたことを考え合わせれば、右出金額一〇一二万四七四〇円は経費の支出のために充てられたものではないというべきである。

(サ) 昭和四〇年一二月二九日の出金額一〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、七、第五〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、昭和四〇年一二月一九日、同和信用組合新宿支店の岩本幸正(仮名)名義の普通預金口座(口座番号四五四番)から一〇〇〇万円が払い戻された。右預金口座は、同年八月七日、原告が各店舗の売上金を入金する預金口座の名義を仮名のものから、各店舗名義人のものに切り替えた際、新たに設けられた仮名預金口座であって、どの店舗の売上金であるのか判別不能の状態で一定額ずつ預け入れられていたものである。また、右預金口座は、右払戻しの翌日である同年一二月三〇日に解約され、全額払い戻された。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、右預金口座は、各店舗の売上金の一部を判別不能の状態で一定額ずつ預け入れられていたものであって、通常の経費の支出が右口座からなされるとは考え難いのみならず、右支出金は多額でかつ端数のつかないラウンドナンバーのものであるうえ、解約直前の払戻しであること、更に、支出先は不明であるが、原告は右支出先について何ら具体的な説明をしていないことを考え合わせると、右出金額一〇〇〇万円は経費の支出に充てられたものではないというべきである。

(シ) 昭和四〇年一二月三〇日の出金額二〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の八、第三八号証の二、第四二号証、第五〇号証、成立に争いのない乙第五四号証、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年一二月三〇日、同和信用組合新宿支店岩本幸正(仮名)名義の普通預金口座(口座番号四五四番)が解約され、二三三三万一三五五円が払い戻されている。一方、同月二九日、同口座から一一六万円が払い戻されたが、このうち一一五万五六〇〇円が新宿企業の同店に対する手形借入金の利息分として返済されており、この差額四四〇〇円と右解約金二三三三万一三五五円との合計額は二三三三万五七五五円となる。また、同月三〇日、同店に三船実(仮名)名義の普通預金口座(口座番号五五五号)を設定し、三三三万五七五五円を入金した。更に、同日、同店に、芝田一雄名義の定期預金五〇〇万円が、朴聖鎮名義の定期預金一〇〇〇万円が、また、広沢信子名義の定期預金五〇〇万円がそれぞれ設定され入金されている。芝田一雄名義の定期預金は、昭和四一年六月九日、中途解約されているが、同日には、前記(ウ)の同店の池野良一(仮名)名義の定期預金が同様に中途解約されており、また、同月一〇日、朴聖鎮名義の定期預金が同様に中途解約されている。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、昭和四〇年一二月三〇日の出金額二三三三万一三五五円は多額の払戻しであるうえ、預金を解約したものであること、また、前日払い戻された金員のうち借入金返済分の残額である四四〇〇円との合計額二三三三万五七五五円のうち三三三万五七五五円は同日、同店に設定された三船実名義の普通預金口座に入金され、残額二〇〇〇万円は、原告の仮名預金口座である芝田一雄、朴聖鎮、広沢信子名義の定期預金に設定、入金されたものということができる。

そこで、右出金額のうち二〇〇〇万円は、経費の支出に充てられたものではないというべきである。

そうすると、右(ア)ないし(シ)で認定した経費に充てられたものではないというべき預金払出額は、合計二億一八一五万六七二九円となる。

これに対して、原告は、右(ア)ないし(シ)の払出額は、いずれも仕入代金の支払であり、特に昭和四〇年八月以降に預金払出しが集中したのは、昭和三九年一月に消失した中央ビルを、同年一一月に再建し、中央ビル店を開業したものであるが、取引先は、原告に同情して仕入代金の支払を猶予していたところ、八月以降、中央ビル店の営業が順調に進むようになったため、それまで猶予を受けていた仕入代金を順次支払ったことによるものであると主張する。

しかしながら、原告の右主張自体、具体的な支払の費目、金額を特定するに足るものでないばかりか、これらの払出額が具体的にどのような経費に充てられたのかを裏付けるに足る証拠もなく、また、取引先が同年八月まで仕入代金の支払を猶予していたことを窺わせる証拠も存在しないので、原告の右主張は、理由がないものというべきである。

また、原告は、本件事業年度の純利益率は、昭和四一年以降に比べ異常に高くなっているとし、これは「異常多額な預金払出額」を経費として認定しなかったことによるものであると主張するが、原告の右主張が理由がないことは、前記三2(四)(3)<4>と同様である。

<5> 異常多額な預金預入額

(ア) 昭和四〇年一月二五日の入金額一〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、八、第三八号証の一、二、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年一月二五日、三井銀行新宿支店植木和雄名義の定期預金口座(口座番号う-一一二一番)に一〇〇〇万円入金された。右預金口座は原告の仮名預金口座であるが、被告担当者は、右入金の経緯について調査したが、右経緯は判明しなかった。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、右入金額一〇〇〇万円は、通常の売上金の入金としては多額でかつラウンドナンバーのものであることから、特異な入金形態であり、入金の経緯も不明であることから、右入金額一〇〇〇万円は、売上金の入金ではないというべきである。

(イ) 昭和四〇年一〇月三〇日の入金額二〇〇〇万円について

前掲甲第一七号証、乙第三一号証の二、八、第三八号証の一、二、証人野見山雅雄の証言によると、以下の事実が認められる。昭和四〇年一〇月三〇日、同和信用組合新宿支店北原二郎(仮名)名義の普通預金口座(口座番号三三五番)に二〇〇〇万円入金された。被告担当者は、右入金の経緯について調査したが、右経緯は判明しなかった。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、右入金額二〇〇〇万円は、右(ア)と同様の理由により、売上金の入金ではないというべきである。

そこで、右(ア)及び(イ)の合計額三〇〇〇万円は、不明入金として仕入及び経費と認められない支出金額の内から控除すべきである。

<6> 生活費

前掲甲第三八号証の一、二によると、原告は、生活費として月三〇万円宛、年合計三六〇万円を支出していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、昭和三九年分と同様(前記三2(四)(3)<6>)、原告の生活費として三六〇万円を計上することとする。

<7> 立替金

前掲乙第三八号証の二によると、共新商事関係の立替金二万三四〇〇円、新宿企業の借入金利息の立替金一一五万五六〇〇円が存することが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の<1>ないし<4>及び<6>、<7>の金額から<5>の金額を控除すると、仕入及び経費と認められない支出金額は合計五億一二〇〇万五九六一円となる。

(4) 事業所得の必要経費と認められない支出金額(別表一四の(3)欄)

前掲乙第三一号証の一一、第三八号証の二によると、原告が昭和四〇年中に支払った店主勘定に当たる公租公課は合計八八四万三六九二円であり、不動産所得の経費として算定される固定資産税額は九〇四〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、事業所得の必要経費と認められない支出金額は合計八八五万二七三二円となる。

(5) 仕入及び経費支出額に加算すべきもの(別表一四の(5)欄)

前掲乙第三一号証の一一によると、期首未経過利息は七五万六〇〇〇円、期末未払費用は一二三六万二六八五円、期末買掛金が三五五〇万〇九九五円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、仕入及び経費支出額に加算すべき金額は合計四八六一万九六八〇円となる。

(6) 仕入及び経費支出額から減算すべきもの(別表一四の(6)欄)

前傾乙第三一号証の一一によると、期首買掛金は二七一四万〇九一五円、期首未払費用は九六二万一六六一円、期末未経過利息は三二万七六〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、仕入及び経費支出額から減算すべき金額は三七〇九万〇一七六円となる。

(7) 期首未払金値引額

前掲乙第三一号証の一一、一二によると、中央ビル店の固定資産取得代金中、期首未払金の値引額五〇万五八〇〇円が存することが認められる。

右の事実よれば、期首未払金値引額五〇万五八〇〇円は、仕入及び経費の額から減算すべきである。

(8) まとめ

以上のとおり、必要経費の額を算出すると、これは、右の(2)の金額から(3)及び(4)の金額を控除し、これに(5)の金額を加算し、(6)及び(7)の金額を控除した金額、すなわち、六億〇五四八万八八一九円となる。

そこで、昭和四〇年分の事業所得の必要経費の額の算出にあたっては、右六億〇五四八万八八一九円から費用区分のできる必要経費額、すなわち前記(二)及び(三)の合計額五億七九六七万五〇〇〇円を控除した残額二五八一万三八一九円が費用区分のできない必要経費の額となる。

(五)  減価償却費

(1) 原告名義店舗

原告名義店舗の減価償却費が一〇七九万一八六六円であることは、当事者間に争いがない。

(2) 王城店及白夜店

前掲乙第三一号証の一二、第四〇号証、証人野見山雅雄の証言によると、前記三2(五)(2)と同様、取引先に対する書面照会等により判明した王城店及び白夜店の各建物等の取得価額を基に、定額法を適用して減価償却費を算出すると、王城店は五四二万九五三三円、白夜店は二〇九万六六〇一円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 西武店

西武店については、建物等の取得価額が判明しなかったので、推計により減価償却費を算定する必要があること、被告の主張する、白夜店の同年分の減価償却費の売上金額に対する割合を、西武店の同年分の売上金額に乗じて得られた金額をもって、同店の減価償却費の額とする推計方法に合理性があることは、前記三2(五)(3)のとおりである。

そこで、右推計方法により西武店の減価償却費を算出すると、昭和四〇年の西武店の売上金額が八〇三八万二七八一円であり、白夜店の売上金額が四二九九万二五九五円であることは前記1(一)(3)のとおりであり、白夜店の減価償却費が二〇九万六六〇一円であることは右(2)のとおりであるから、三九一万九九九五円となる。

(六)  除却損

昭和四〇年中における除却損の合計額が二五七万四二八八円であることは、当事者間に争いがない。

(七)  まとめ

以上の次第で、必要経費は、期首たな卸金額六七一万六七七九円及び仕入金額二億九二六四万八三六六円から期末たな卸金額六九三万九二二〇円を控除した売上原価二億九二四二万五九二五円に、給料手当ないし雑費の合計額二億七二一九万八三四五円及び小口払経費一四八二万八二八九円、費目区分のできないもの二五八一万三八一九円並びに減価償却費二二二三万七九九五円を加え、除却損二五七万四二八八円を控除した六億三〇〇七万八六六一円となる。

そこで、原告の昭和四〇年分事業所得金額は、二億五二五六万四五五四円となる。

五  原告の本件各係争年分の総所得金額について

よって、原告の昭和三九年分総所得金額は九二八二万七五五七円となり、昭和四〇年分総所得金額は二億五五六二万九三一七円となる。

そうすると、本件各更正に、原告の総所得金額を過大に認定した違法はないというべきである。

六  本件決定について

原告は、右認定のとおり、各年分とも事業所得の計算の基礎となるべき収入金額の全部若しくは一部を仮名預金に預け入れ、あるいは事業所得の金額の一部を他人の名義によって申告しているのであるから、原告は、故意にその収入金額を隠ぺいしたものというべく、国税通則法六八条一項に該当するものといわなければならない。

そこで、本件の加算税額をみると、前記認定の事実によれば、昭和三九年分の重加算税額は一七六七万九三〇〇円を、また、昭和四〇年分の重加算税額は五〇九八万七一〇〇円をそれぞれ超えるものであることは、計数上明らかである。

そうすると、本件各決定に加算税額を過大に認定した違法はないというべきである。

七  よって、原告の本訴訟請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官小磯武男は転補のため、裁判官金子順一は転官のため、いずれも署名押印することができない。裁判長裁判官 宍戸達徳)

別紙一

1 昭和三九年分

<省略>

2 昭和四〇年分

<省略>

別表一

昭和39年分に係る預金口座一覧表

<省略>

(注) 備考欄の*印は、翌年まで継続している預金口座である。

別表二

昭和40年分に係る預金口座一覧表

<省略>

(注) 備考欄の*印は、翌年まで継続している預金口座である。

別表三 昭和39年分の売上金額調査書

<省略>

別表四 昭和39年分の取引先調査等により把握した仕入及び経費の科目別店舗別明細表

<省略>

別表五 昭和39年分の取引先調査等により把握した仕入及び経費の月別店舗別明細表

<省略>

別表六 昭和39年分仕入及び経費の額の計算明細表

<省略>

別表七 昭和40年分の預金等により把握した売上金額調査書

<省略>

別表八 店舗別売上脱漏金額調査書

<省略>

<省略>

別表九 昭和40年分の預金等により把握した売上金額の月別店舗別検討表

<省略>

別表一〇 昭和40年分仕入及び経費の支払額と差益率の検討表

<省略>

<省略>

別表一一 昭和40年分の売上金額調査書

<省略>

参考:「売上日計表で確認できた脱漏分」欄の(△2,000,000)は、当該欄の本書の金額のうち仮名義(岩本幸正)預金口座に入金された金額であり、重複をさけるため減算することを示す。

別表一二 昭和40年分の取引先調査等により把握した仕入及び経費の科目別店舗別明細表

<省略>

別表一三 昭和40年分の取引先調査等により把握した仕入及び経費の月別店舗別明細表

<省略>

別表一四 昭和40年分仕入及び経費の額の計算明細表

<省略>

別表一五

(一) 昭和三九年度事業所得

<省略>

(二) 昭和四〇年度事業所得

<省略>

別表一六 昭和40年1月ないし7月分の各店舗別仕入及び経費の支払額と売上金額の対比表

<省略>

<省略>

(注)1 「スマートボール店」は新宿2丁目スマートボール店と歌舞伎町スマートボール店の総称である。

2 パチンコ店は中央ビルパチンコ店である。

別表一七 昭和40年各月の差益率表

<省略>

別表一八

(1) 昭和41年分

<省略>

(2) 昭和42年分

<省略>

(3) 昭和43年分

<省略>

(4) 昭和44年分

<省略>

(5) 昭和45年分

<省略>

(6) 昭和46年分

<省略>

(7) 昭和47年分

<省略>

(8) 昭和48年分

<省略>

(9) 昭和49年分

<省略>

注1.方元俊とは被告主張の新宿2丁目スマートボール店、中央ビル店を、方利俊とは被告主張の「西武店」を、李昇鎬とは被告主張の「王城店」を、金東淳とは被告主張の「白夜店」を意味する。

注2.金東淳は昭和43年6月28日、「白夜店」の営業を三信商事株式会社に譲渡したため、昭和44年以降の「白夜店」の事業内容は不明である。

注3.李昇鎬は昭和44年7月14日、「王城店」の営業を三信商事株式会社に譲渡したため、昭和45年以降の「王城店」の事業内容は不明である。

注4.方利俊は昭和45年3月27日、「西武店」の営業を三信商事株式会社に譲渡したため、昭和46年以降の「西武店」の事業内容は不明である。

別紙図面

昭和40年各月の売上金ならびに仕入経費支払額の推移グラフ

<省略>

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